大田区というと、羽田、田園調布、蒲田など、地元でなくても全国的に知られた町がありますが、大森も知ってほしい町の一つです。

大田区というと、羽田、田園調布、蒲田など、地元でなくても全国的に知られた町がありますが、大森も知ってほしい町の一つです。

東京都の南端、大田区に位置する大森の多角的かつ重層的な歴史を紐解くドキュメンタリー映像の記録動画を見てしまったのでシェアします。大田区というと、羽田、田園調布、蒲田など、地元でなくても全国的に知られた町がありますが、大森も知ってほしい町の一つです。

東京の南端、大田区は、旧大森区と蒲田区が合併してできました。

その一方の大森は、東海道本線や京浜東北線の車窓から、あるいは第一京浜の信号待ちで漫然と眺めるだけの「地味な通過点」に過ぎないかもしれません。

しかし、この駅界隈には、様々な歴史を語るスポットが存在しているのです。

西側は「大森の表玄関」と雑多な熱気


大森駅は日本最古級の歴史を持ちます。

日本初の鉄道(新橋ー横浜間)が開業した1872年(明治5年)から、わずか4年後の1876年(明治9年)6月12日に開業しました。

これは、東京の駅としては新橋駅、品川駅に次いで3番目に古い歴史なのです。

駅近くには、エドワード・モースが発見した大森貝塚があります。


大森駅西口北側には、東京都品川区と大田区にまたがる、縄文時代後期から末期の貝塚(大昔のゴミ捨て場)です。1877年にアメリカの動物学者エドワード・S・モースが発見し、日本で初めて本格的な科学的発掘調査が行われたことから「日本考古学発祥の地」とされています。

西口正面には、文化人が集った邸宅の跡地を散策コースとした「馬込文士村」があり、


駅前商店街には、地形が生んだ「一度入ると抜け出せない」「酔っ払うと急な階段を上がれなくなる」という「地獄谷」(正式名称「山王小路飲食店街」)と呼ばれるレトロな飲食店街があります。


まあ、文化的であり、また駅前らしい、どこか雑多でエネルギッシュな熱気があります。

一方の東側は、ちょっと「訳あり」の歴史を抱えています。

東側は「低湿地な海側」とディープな歴史

大森と言えば海苔養殖が有名で、「浅草海苔」のブランドで売り出され、今も旧東海道大森宿があったあたりは「美原通り」といい、海苔の販売店が何件も並んでいます。


海側には、「平和島」と名付けられた埋立による人工島があります。

現在は、平和島競艇、平和島天然温泉、屋内アスレチック、平和の森公園、平和島公園などの施設がありますが、


戦前は捕虜収容所があり、戦後は巣鴨に移送される前の戦犯の収容所になりました。

そうした暗い歴史を塗り替え、平和への願いを込めるために平和島と名付けられたものです

そのやや北には、京急線の「大森海岸」駅がありますが、ここはかつての赤線地帯でした。

もともと大森海岸は、東京に一番近い海水浴場や風光明媚な保養地として、明治期から非常に人気の高いエリアでした。

日清・日露戦争後の好景気に乗って、東京近郊の避暑・遊興の地として多くの料亭が建ち並ぶようになり、やがて料亭・芸妓・置屋の三業が公認された「大森新地」という花街として大いに栄えました。

ところが、終戦直後の1945年8月27日、大森海岸にあった料亭「小町園」が、進駐する米兵を東京の都心まで来ないように、水際で食い止める防波堤としての役割を担わされ、特殊慰安施設(RAA)の全国第1号となりました。

銀座や新宿ではなく大森が選ばれたのは、米軍基地が集中する神奈川方面から都内へ流れ込んでくる兵士を食い止めるという地理的な戦略があったためです。

1946年にRAA自体は廃止されましたが、その後も大森新地は有郭の流れを汲み、1958年(昭和33年)に売春防止法が施行されるまで「赤線」として営業を続けたのです。

文学作品にも登場する大森


以前、馬込文士村の望翠楼(ぼうすいろう)ホテルが、芥川龍之介の『魔術』に出てくる洋館の舞台と書きましたが、GoogleAIはそれを否定しています。

ただし、芥川龍之介が同ホテルを気に入り、文士村の住人でもないのに、住人たちとそこで会っていたのは本当なので、ホテルからイメージした洋館、ということで、当たらずと言えども遠からずのように思います。

芥川のメンターである夏目漱石は、『虞美人草』の中で、男女が「大森新地」に行く話を書いています。

ことほどさように、どれをとっても、そこ1箇所でたっぷりと記事がかける魅力があります。

そんな大森にちょっとでもご関心をもたれたら、上掲の動画をぜひご覧ください。

みなさんの地元について、このような動画は配信されていますか。

大田区の法則 (Linda BOOKS!) - 大田区の法則研究委員会
大田区の法則 (Linda BOOKS!) – 大田区の法則研究委員会

コメント