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「普通の人」の怖さ、「ら抜き」記事に対する異常なコメント

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ら抜き言葉
「普通の人」の疑似科学批判をこのブログは標榜しているが、残念ながら、普通の人にもいろいろいるらしい。普通の人が普通の人に不当な言いがかりを付けられている話をこれから書こうと思う。

さて、このブログは、コメントについて、なるべくこちらの意見を書いてから公開しようと思っているので
実は未公開のコメントがかなりたまっている。

一応、書かれた順に公開しようと思っているが、
本日はその順番をとばしてこれを取り上げる。

>コメント投稿者: JEAN
>URL:
>IPアドレス: 219.108.157.39
>
>ら抜きの記事を全部見させてもらいました。あなたはブログに対する道徳面を少
>し学んだほうがよいのでは。ら抜きの論争がどうとかは確かにどうでもいいことで
>すが、個人をブログの記事として中傷するのはいかがなものかと。これらは中傷で
>はないとあなたは言うかもしれないが、誰が見てもそう読み取れる。もし不愉快に
>なったなら無視すれば良い話でしょう?

一連の「ら抜きの記事」は、
自分が経験した話と、入ったコメントに
ついて答えているだけである。

ブログ主が、ついたコメントに答えることについて
くだらないコメントにいちいち答えるのは大人げない
というアドバイスは過去にあったが

コメントに答えることそれ自体が
道徳的に問題があって
中傷だ、答えちゃいかんという意見は
はじめて聞いたな(笑)

【ら抜き言葉問題関連記事】
「ら抜き言葉」を「正しい」と言い張るくだらなさ
「ら抜き言葉」問題で「目くじら」乱発
「理系」と称する「ら抜き言葉は間違い」批判
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そう思いますとか、それは違うとか、そうは言ってないとか
記事の著者がコメントに返答することで、
誤解や雑多な意見から論点が純化され、
止揚されていくんじゃないの?

それととともに、匿名で無責任なコメントを
ブログ主として自分の責任に置いて
引き取るという重要な意味もあるのだが。

このコメントが、真面目に書かれたモノなら
アンタが考えているよりも
ずっと深い意味をもってやっている、
とお答えするしかないな。

この方がそれで理解できなくても
その水準にまで筆者は責任を持てない。

「ら抜きの記事」以外で、「個人をブログの記事」に
とりあげていることに対する意見と
一応解釈を広げておくと

直近では、松尾貴史先生についてのものがある。

が、それは、松尾貴史先生が「日刊ゲンダイ」という駅売りも宅配もある
夕刊紙に連載している不特定多数を対象とした署名の読み物である。

ブログの記事で批判的に取り上げることを非難する根拠が
あるのなら具体的に教えて頂きたい。

記事の中身も、別に松尾貴史先生の個人情報を無用に暴いているわけでもない。
逆はあるけどね。

つまり、松尾貴史先生がプライバシーを
根拠に他人の人間性をとやかくいう書き物は見たことがあるけどね。
そっちは許されるわけだ。

>誰が見てもそう読み取れる。

すごいね、この自信。
何でそんなことがいえるの(笑)
統計でもとったのか。
自分の意見が、多数の代表である合理的な根拠を書いてほしいな。
そもそも、「多数」が正しいとも限らないし。

いずれにしても、根拠の曖昧な「多数」の威を借りずに
正々堂々と「自分の意見」として書けないなら
こういう場でモノを書く資格はないな

自分の言論に責任を持たない態度というのは
言葉尻が「中傷」であるかとどうか以前の問題。
もっとタチの悪いことだ。

>もし不愉快に
>なったなら無視すれば良い話でしょう?

それで損害が出た場合、責任取れるのかな。
「不愉快になったなら無視すれば良い」で済むなら
裁判所も名誉毀損の法律もいらないんじゃない?

コメントは一方的に入れさせろ
一切文句を言うな
それでどんなに損しようが苦しもうが
文句を言ったら不道徳よばわりするぞ
私の意見は、世間の大多数の正論に違いない

この方の言いたいことはこうらしいが
こんな自分勝手なことを
臆面もなく書ける根拠と
神経がわからない。
いかなる見識と人間性なのか
個人的に、この方のリアルな私生活に興味がある。

こういう人々が、
何となく怪しいという先入観だけで
検察の暴力的なやり方やブルジョアマスコミに流されて
「起訴すべし議決」という
司法的暴力を振るうんだろうな。
怖いね。本当に怖い。
不見識は暴力になるということだ。

筆者は、「普通の人」の立場からモノを書いているが、
残念ながら、このコメントも「普通の人」のもうひとつの顔だ。

「普通の人」というのは、無知と世間の狭さから
こういう非合理で残酷な書き込みを
いい気になってできるのである。
自分のやってることが言葉の暴力とも気づかずに

しかし、ネット人口が増えるということは
底辺の裾野がふえるわけだから
これからも、こういう「釣り」のようなコメントが入るだろう。

もちろん、「不愉快になったなら無視すれば良い」のだが、
無視することで、渋谷なんとかの亀小僧みたいに
「私の諫言に沈黙するしかなかった」
なんて勘違いの書き込みをヨソでされても困るので
極力、これからもくそまじめに回答しようと思う。

コメント

example :

ら抜き言葉についてのあなたのやり方については同意しかねますが
「普通の人」という人が大体胡散臭い言論をするのは経験上賛成します。

—–

あと「常識を多用する人間」もね。

「普通を多用する人間」と「常識を多用する人間」

は同じであることが多いですね。

—–

つまり主導権を握っていると思っている人ですね。
他人には主導権はない。そう言いたいんですね。

「変化は許さない」とも。
2012年2月 4日 01:09

————-

出たーっ、またバカ論。
いったいいつまでこんなのを相手にしなければならないのでしょうか。
「変化は許さない」とどこに書いてあるのかな。

ら抜きが入試や就職試験で通用しない以上
教育機関で使うのはふさわしくない、という話が
どうして「変化は許さない」ということになるのでしょうか。
許すか許さないかは関係ない文脈ですが。

こんなだから、小保方晴子さんを「信じる」なんていう薄馬鹿が
あとを絶たなかったんですね

この記事を書いた者
草野直樹(かやのなおき)

自己肯定感も、自己意思決定能力も低かったのですが、昨今流行の家系図作りをしているうち、高祖叔父と“日本のケインズ”の接点を発見。仙台藩で和喜次時代のお世話役で姻戚関係も!?。もう30年早く知りたかったなあという思いはありますが、せめてこれからは一国民、一有権者の立場から、ケインズ系経済学支持者としての発言を自分の意志で行っていきます。

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