キャッシュレス決済、セルフレジ、QRコードによる注文……。技術革新のスピードに適応できない人々が置き去りにされていく現実。

キャッシュレス決済、セルフレジ、QRコードによる注文……。技術革新のスピードに適応できない人々が置き去りにされていく現実。

キャッシュレス決済、スマホでのQRコード注文、そして無機質なセルフレジ。現代社会が推し進めるデジタル化は、私たちの日常を「効率」という名の突風で塗り替えていきました。多くの人々にとって、それは「便利で当たり前」の進化かもしれません。

しかし、その加速度に身を任せる影で、ふと立ち止まり、途方に暮れる人々がいます。

使い慣れたアナログな手段が一つ、また一つと消えていく。それは単なる利便性の喪失ではなく、ある人々にとっては、これまで守ってきた日常の平穏や、自分らしく生きるための「居場所」が奪われていくことを意味しています。

つながることのない「104」に、受話器を握りしめる母の切実


千葉県に住む64歳の母親にとって、世界との接点は常に「電話」の先にありました。シニア向けのファッション雑誌で見つけた服を電話で注文し、銀行振込で代金を支払う。

大切な知人への贈り物は、馴染みの和菓子店に電話をかけて発送を頼む。そんな彼女の自立した生活を支えていたのは、わからない番号を教えてくれるNTTの電話番号案内「104」という、たった3桁の命綱でした。

しかし、2026年3月末、その命綱は無情にも切り離されました。デジタルに習熟した世代には些細な変化に見えても、インターネットを介した検索が困難な彼女にとって、それは社会との断絶に等しい衝撃でした。サービスが終了した今も、彼女は受話器を握ります。

いつかまたつながると思って、いまだに104に電話をかける母の姿を見るのが、本当に辛いです

32歳の娘が吐露したこの言葉には、時代の潮流に突き放された個人の、言葉にならない悲痛が込められています。

かつて彼女を支えていた「104」や「タウンページ」は、単なるサービスではなく、彼女が自分自身の足で社会と繋がるための、最後の尊厳だったのです。

「努力不足」という言葉が突き刺す、脳の特性という名の壁

新しい仕組みに適応できない人々に対し、社会はしばしば「慣れればいい」「努力が足りない」という無意識の刃を向けます。

しかし、それはあまりに一方的な「正解」の押し付けではないでしょうか。

個人の怠慢ではないという真実 この母親が直面している困難は、決して本人の怠慢によるものではありません。発達障害や精神疾患といった「脳の特性」により、彼女にとって新しい手順を覚えたり、未知のデジタルデバイスを操作したりすることは、物理的な壁と同じくらい高く、険しい障壁なのです。

「母の世界」にある正解 一度覚えたルーティンを書き換えることに激しい苦痛を伴う人々にとって、デジタル化への強制的な移行は、単なる変化ではなく「世界そのものの崩壊」を意味します。「社会の正解」がどれほど便利になろうとも、「母の世界での正解」はそこにはありません。彼女たちが望んでいるのは、革新的なテクノロジーではなく、昨日と同じように買い物ができるという、当たり前の継続なのです。

スーパーのセルフレジが、静かに「買い物の権利」を奪う

効率化の象徴であるセルフレジの普及は、皮肉にも一部の人々から「自立」を奪い去っています。

有人レジで店員と対面し、現金を支払う。これまで何十年と繰り返してきたその行為が、今や一部の店舗では選択することさえ困難な「贅沢」になりつつあります。

機械との無機質なやり取りに適応できない彼女たちにとって、セルフレジの導入は「買い物ができなくなる」という死活問題に直結します。

生活必需品を自分の手で購入するという、誰もが持つはずの「買い物の権利」が、効率という大義名分の下で静かに削り取られている。

有人レジの消失は、単なるコスト削減の結果ではなく、特定の特性を持つ人々を社会の外側へと追い出す、見えない境界線となっているのです。

デジタル格差が、家族の「未来」さえも縛り付ける

この問題の重圧は、本人だけでなく、それを支える家族の人生にも深く浸透しています。32歳の娘が背負っているのは、単にスマホの操作を教えるといった一時的な手間ではありません。

行政手続きのオンライン申請、自治体から届く給付金の電子クーポン、日々の買い物の付き添い。

生活のあらゆる局面で娘が「代理人」として介在しなければ、母親の生活は立ち行かなくなっています。この終わりの見えないサポートは、娘の心理的な余裕を奪い、将来への不安を増幅させています。

「自分が母のそばを離れたら、この人は生きていけないのではないか」。そんな恐怖に近い思いが、彼女の結婚やキャリアといった人生設計そのものに重い影を落としています。

デジタル化という社会の変化が、一個人の「誰かと結ばれ、新しい家庭を築く」という根源的な自由までをも、静かに侵食しているのです。

誰も取り残さない「マイノーマル」とは何か

デジタル化がもたらす恩恵を否定することはできません。しかし、その進化が「誰かの日常」を破壊し、その家族の未来を縛ることで成り立っているのだとしたら、その社会を「豊か」と呼べるでしょうか。

効率を追い求める過程で、私たちは大切な想像力を失っていないでしょうか。テクノロジーの進化に人間を合わせるのではなく、多様な「脳の特性」や生活の形を包摂するような、温かなデジタル、あるいはアナログという選択肢が残された社会こそが必要なはずです。

すべての人が、それぞれの特性を抱えたまま、自分らしく(マイノーマルに)暮らせる社会のために。私たちはテクノロジーと、そしてその変化に立ち止まってしまう隣人の存在に、どのように向き合っていくべきなのでしょうか。

その答えは、私たちが「効率」の向こう側にある一人ひとりの物語に、どれだけ心を開けるかにかかっています。

デジタルとアナログを融合し、仕事の効率化を目指す本: マンガでわかるやさしいDX - 角野 嘉一
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