
『明石家さんまヒストリー2 1982~1985 生きてるだけで丸もうけ』は、さんま研究家・エムカクさんが25年がかりで書き上げたノンフィクションです。「国民的芸人」が天下を取るまでの4年間を、本人の発言や膨大な資料を時系列で克明にたどる一冊です。
本書は3部作(構想)の真ん中にあたります。
第1弾は、2020年11月に出た『明石家さんまヒストリー1 1955~1981 「明石家さんま」の誕生』で、少年時代から落語入門、大阪での活躍、『ひょうきん族』スタートまでを扱っています。
そして、続く3巻は「さんまの結婚」という副題が予定されており、大竹しのぶさんとの共演から1988年の結婚、1992年の離婚までを描く構成とのことです。
つまり第2弾は、さんまが大阪から東京へ拠点を移し、全国区のスターへと駆け上がる「運命の4年間」をピンポイントで切り取った巻だと言えます。
「生きてるだけで丸もうけ」の意味
2021年6月28日発売
『明石家さんまヒストリー2 1982~1985 生きてるだけで丸もうけ』https://t.co/uUGhbk9I7P書影が出ました??今回も気に入ってます? pic.twitter.com/rWDrDU5JVY
— エムカク (@m_kac) May 25, 2021
タイトルの「生きてるだけで丸もうけ」というのは、「ああ見えて意外と暗い生い立ち」(「メンズサイゾー」2012年12月22日12時00分更新)にあります。
さんまさんは、幼くして実母を亡くし、継母とは合わず、さらに継母に溺愛されていたのに気が合った弟は夭折。
しかも弟は、その日までは元気だったのに、火事で一瞬にして……。
亡くなったご本人がいちばん不幸ですが、残された明石家さんま、いや杉本高文さんの喪失感というのもかなり重いものではないかと察します。
私も母子家庭で育ちましたし、何とか九死に一生を得たというものの、妻子が火災で家ごと炎に包まれ、意識不明・心肺停止の重体で救急車で運ばれていく光景を見てしまった生き地獄経験者として、それはよくわかります。
ただ、私と違うのは、私は自分の「ほしのもと」に遡って、わが人生の不遇の背景や「犯人」を心のなかで今も探し続けていますが、明石家さんまさんは不幸の総括は一切打ち切り、それどころか正反対に「人間は生まれてきたときからマイナスではなく、生きているだけで100点満点」という境地にいたっているのです。
「生きてるだけで丸もうけ」は、単なる楽天主義というより、さんまさん自身の人生史を考えると、「失ったもの」から人生を評価するのではなく、「いま生きている」という事実そのものを基準に人生を捉え直す言葉と見ることができます。
生きているだけで儲けものと思えば、他人と比べたり、過度な成功や財産を求めたりして苦しむことがなくなります。
それは、何か特別な成果を出さなくても、生きているだけで価値があるという意味を含んでいます。
「生きてるだけで丸もうけ」は、娘のIMARUさんの名前の由来にもなりました。
一見、それは仏教の教えとは正反対で、また少なくとも原始仏教(お釈迦様時代の仏教)は生きることに意味を見出しませんが、「過度な成功や財産を求めたりして苦しむことがなく」なるという結論が一致しているのが興味深いと思いました。
仏教は「丸もうけ」とはいわないが……
生きてるだけで丸儲けなんて、元気で裕福な人のたわごと。生きるのが辛くて、暮らすのが辛い人は何人だっている。
— やっさん (@1310na) September 14, 2026
仏教では、人生は生老病死を以て「一切皆苦」といいます。
そう、生まれたこと事自体が苦悩の始まりなのです。さんまさんとは正反対です。
芥川龍之介の『河童』では、気に食わない親だからと、新生児が生まれるのを辞退するシーンがありますが、現実の人間社会ではそうはいきません。
たとえ、どんな毒親だろうが、子は親を選べないのです。
人によっては、出自からいきなり「苦」が始まるのです。
「いやいや、生まれたからこそ、おいしいものを食べたり、好きな異性と交際したり結婚したりできるんじゃないか?」
と思われますか。
「食べる」ことは本来、たんなる生存の条件です。生きることのご褒美と考えるのは個人的価値観に過ぎません。
世の中には、経済的な事情や、病気で胃袋をとったり、歳をとって食が細くなったりして、逆に「食べること」が苦痛になっている人もいるのです。
また、私みたいにモテ期のない男性は、適齢期が苦痛になります。
あまりにモテないと、もう女性が憎くなり(笑)、心がすさんでしまいます。
適応障害やうつ病などの精神疾患で休職したことのある人にしか分からないこと
❌ 生きてるだけで”丸儲け”
⭕️ 生きてるだけで”ジリ貧”
— ミル🥺 (@depression1203) September 25, 2026
人生はそうやって苦しいことばかりだから、もしその生きづらさに耐えられないなら、やめられる欲望は全部捨て去りましょう、というのが原始仏教(お釈迦様時代の仏教)の考え方なのです。
でも、仏教は本来、地球上のすべての人がそうなればいいとは考えていないので、あくまでも生きづらい人だけがそうしましょうということです。
明石家さんまさんのように、「丸もうけ」という前向きな考え方で心が満たされるなら、その方が幸せだろうと私は思います。
私自身は、とても「丸もうけ」とは思えませんが、とはいえ、世捨て人の出家僧になるしかない、と思いつめているわけでもありません。
生きている限りは、生きているからこその欲望はできることなら叶えたいし、今を生きるものとして、社会に爪痕を残したいとか、次世代に何が出来るかとか、そんなことも考えていきたいと思っています。
みなさんは、人生を「丸もうけ」と考えるタイプですか、「一切皆苦」と考えるタイプですか。


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