宮沢りえが妊娠6カ月で、周囲に「赤ちゃんは女の子」と語っているという。芸能マスコミでは相手の男性についてああだのこうだのと書いているが、宮沢りえはそのへんは有名税と割り切ってスルーしておけばよい。別にマスコミが生活の面倒を見てくれる訳ではないし、自分が決めたことなのだから、今は新しい命の誕生を素直に喜ぶことだ。
ただ、誹謗中傷に盛り上がることで、苦しく冴えない実生活から逃避したい有象無象が集うWeb掲示板では、放っておけない出来事らしい。
「やっぱり羊水は腐ってるの?」と、まるでお約束ともいえる”35歳”に言及した書き込みもある。
いわゆる「高齢出産」のニュースのたびに、飽きもせずそんな書き込みが出てくるが、悪意の落書きとはいえ、今妊娠している人や、これから妊娠したい人にとって決していい気持ちはしないだろう。
倖田來未の「35歳を過ぎると羊水が腐る」発言の際、一部の女性識者は、倖田來未を庇い立てる根拠に「高齢出産のリスク」をあげ、さらに傷口を広げた。
「彼女は無知で、言葉の使い方も間違っていたと思うけど、言ってることには一理あると思う。私は肉体的にも社会環境的にも若いうちに産めるならその方がいいと思っているし、”いつでも産めるんだ”という報道は逆に無責任」(「日刊ゲンダイ」2008年2月19日付でさかもと未明)
「いつでも産める」と思っていたから高齢で出産するだと?
何てイージーで無神経な思考なのだろう。考え方が現実と逆立ちしているではないか。
誰も最初から高齢で出産すると「無責任」に決めているわけではあるまい。
「いつでも産める」どころか、様々な事情があり産めなかったから、結果として高齢になったのであろう。
にもかかわらず、ことさらそれだけをクローズアップしたがる理由は何か。
要するに、「高齢」で確率が高くなる、ダウン症やその他障害を持った子供の出産が「リスク」だということだろう。
それは、そうした子供への差別意識を疑うこともできる。
もしくは、産まないと思った女性がよもやの年齢で産むことへの嫉妬ではないのか。
出産経験のない女性識者が高齢出産の慶事を牽制するのは、とくにそれを勘ぐりたくなる。
そういう了見なら、格好つけずに正直にそういえばいいのだ。
スケプティクスに考えてみよう。
40歳でダウン症を産む確率は1%に満たない。無視はできないが、圧倒的にそうではないということだ。
クアトロテストという、染色体異常の子どもを産む確率試験は、35歳でのリスクを基準に見るが、誤解してはならないのは、35歳以下の出産ならダウン症を産まない、ということではないのだ。
要するに、染色体異常=高齢出産ではない、ということだ。
そもそも妊娠や出産の「リスク」というなら、母胎や胎児の生命や健康に関わるものこそがそうだろう。
たとえば、体外受精で前置胎盤になる確率はその倍あるといわれている。妊娠が契機となって発症する妊娠糖尿病は、妊娠高血圧症候群や羊水過多症、感染症などを引き起こしやすくなる。
それだけでなく、胎児も高血糖となり、将来糖尿病になる可能性もあるといわれる。子役スターだった間下このみの罹患でクローズアップされたのが「抗リン脂質抗体症候群」。習慣性流産・死産・血栓症などを引き起こすという。
そうしたことがなくても、出産時に子宮破裂するリスクは全妊娠0.03~0.1%はあるといわれる。前回帝王切開で次に経膣分娩する妊婦では、その0.8%が子宮破裂になるという統計もある。
出産時に胎児が死亡すると、老廃物が母体に逆流して妊婦もなくなる場合もある。
いずれも僅かな確率だが、ひとつひとつは生命そのものをおびやかしかねないものであり、年齢に関係なくどんな妊婦でも起こりうるリスクである。
ところが、こうした出産全般のリスクというのは世間ではあまり認識されず、もっぱら出産のリスクというと「高齢」だけをクローズアップしたがるのはどういうことだろう。
もとより、高齢であろうがなかろうが、障害のある子どもを授かったのだとしても、それは「産んではいけないこと」ではないだろう。「リスク」という表現自体が不適切なのだ。
出産というと、自然の摂理で女性なら誰でも当たり前にできるように思っている人が、男性だけではなく若い女性にもいる。
その一方で、高齢出産のリスクばかりをクローズアップするムキもある。いずれも、出産という幾重ものリスクを乗り越えて達成する大事業を、リアルに表現したものとは言い難い。
そんな風潮をぶち破ってもらうためにも、彼女には無事出産し、また元気に仕事に復帰していただきたいと思う。
倖田来未問題や妊娠・出産についての話は、『健康情報・本当の話』(楽工社)に詳しい。
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