親子の縁を自ら断ち切る『家族じまい』に関する相談が急増しており、その傾向は高齢層だけでなく若い世代の間でも広がっています。

親子の縁を自ら断ち切る『家族じまい』に関する相談が急増しており、その傾向は高齢層だけでなく若い世代の間でも広がっています。

世間一般において、「家族」という言葉にはどこか温かく、ホッと安心できる響きが伴います。街頭インタビューで「あなたにとって家族とはどんな存在ですか?」と尋ねれば、次のような声が聞かれます。

  • 「戻ってくる場所じゃないですけど、安心できるものではあるかな」
  • 「やっぱりありがたいです。仕事終わって家に帰って(家族に)会えると、なんかちょっとホッとします」

こうして多くの人が家族を「安心感を与えてくれる場所」と捉える一方で、いま現代社会では、自ら親子の縁を完全に断ち切り、関係を終わらせる『家族じまい』を選択する人々が増加しています。

本来であれば切っても切れないはずの家族の絆を、なぜ自ら断ち切らざるを得ないのでしょうか。その背景には、切実で壮絶な現実が存在しています。

20代・30代から急増する「縁切り」のSOS

今日の情報源です。


かつて『家族じまい』にまつわる悩みといえば、高齢者特有の問題として捉えられるのが一般的でした。しかし現在、その相談の波には明確な変化が生じており、20代や30代といった若い世代からの問い合わせや依頼が急増しています。

若い世代が自ら親子の縁を断つ決断へと追い込まれる背景には、以下のような切実な事情が挙げられます。

  • 親の介護が不可能な状況:目の前の介護負担に対応しきれない、あるいは関わることが困難であるという課題。
  • 親・親族との関係断絶への強い意思:これまでの葛藤や不和から、関わりそのものを根本から断ち切りたいという思い。

壮絶な親子関係やトラブルに直面した結果、苦渋の選択として『家族じまい』に至るケースが、若年層においても顕著になっているのです。

「老い逃げ」と代行サービスが映し出す、複雑な家族関係

現代の家族関係の複雑さを象徴する言葉として、「親の“老い逃げ”」という表現が浮き彫りになっています。当事者たちの壮絶な体験談からは、単なる一時的な不仲にとどまらない、深刻なトラブルの実態がうかがえます。

こうした背景のもと、切っても切れないはずの縁を断ち切るための手段として「代行サービス」へのニーズも高まりを見せています。当事者同士の手だけでは修復不可能なほど亀裂が深まり、第三者である代行サービスを頼らざるを得ないほど、家族をめぐる問題は切迫しているのです。

すべての親は「毒親」の素地を有している


こういう問題になると、旧弊な「親絶対イデオロギー」から抜けられない自分を基準に、「親じまい」を非難する人がいるのですが、私はそこはきちんと意見を述べておきます。

まず、親子や家族の問題は、当事者しかわからないデリケートな問題です。

他人が、自分の価値観で説教するようなものではありません。

エラソーに説教するあんたは神様なのかって話です。

そもそも、人間は無謬ではないし、また親になるのに資格試験もありませんから、親というのは本来すべてが「毒親」としての素地を持っています。

そして、仏教では「因」と「縁」なんて言いますが、どんな人格者だろうが、その時々の状況次第で、誤った方向に進んでしまうことは誰でもあり得るということです。

たとえば、最初はいいお母さんだったのに、夫の母親が同居してから、夫は母親の肩をもつようになり夫婦関係が悪化してしまった。そして、孤立した妻は子に依存して過度の期待をするようになった。結果、子どもの人格や人権が蹂躙されたとかね。

よく聞く話でしょう。

それぞれ言い分があり、誰が決定的に悪いというのではなく、人間なんて、そういう「縁」次第でどうにでも転がってしまう弱いものだということです。

結論として、私は「親じまい」「家族じまい」をしたい人を非難する気持ちはありません。

それ相当の事情があったのでしょう。

むしろ、その決断が羨ましいぐらいです。

ただ、毒親離れをしただけでは不十分で、毒親に刷り込まれた旧弊なものは清算して、自らの人格を作り直し、人生設計をたてなおす作業こそが本丸であり、それにはさらなる時間とエネルギーが必要だ、がんばれ、といったところでしょうか。

人生は1度きりです。自分軸の人生を貫くことこそが本当に幸福な人生であり、たとえ親といえども、それを妨げてはならないと思います。

とくに親絶対イデオロギーの方は、「親じまい」「家族じまい」はどう思われるでしょうね。

家族じまい・ひとりじまい 誰もがおひとりさま時代の終活最前線 (日経プレミアシリーズ) - 高岡憲人
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