『俺たちの旅』といえば、中村雅俊、津坂まさあき(秋野太作)、田中健、そして途中から森川正太が合流した若者の生活を「旅」として描いたものですが、実は中村雅俊演じるカースケと金沢碧演じる洋子の旅だったから続編はない、という見方もあります。
『俺たちの旅』は30年目で止まった
脚本家・鎌田敏夫自身がモデルだった
俺たちの旅(1975年10月5日~1976年10月10日、ユニオン映画/NTV)は、物語は三流大学の学生である津村浩介(カースケ=中村雅俊)、その同級生である中谷隆夫(オメダ=田中健)が、カースケの同郷の先輩である熊沢伸六(グズ六=津坂まさあき⇒秋野太作)と偶然再会。
その3人を中心に織りなす、挫折、社会矛盾による動揺、若さゆえの失敗などにぶち当たる、友情や生きることの意味、悩み、喜びなどを活写した青春群像劇です。
シナリオ学校時代における親友2人との付き合いが、『俺たちの旅』の下敷きになっていると、メインライターだった鎌田敏夫の『来て!見て!感じて!』(海竜社)という書籍には書かれています。
エンディングに使われた、『ただお前がいい』の中にある、「また会う約束などすることもなく……」という歌詞は、まさにシナリオ学校時代の3人組の付き合い方だったそうです。
つまり、いちいちアポ取りをして用件がなければ会わないのは、本当の友人ではない、というのです。
モデルとメイン監督が亡くなった
ストーリーは、グズロクが下宿先の娘・典子(上村香子)と結婚したり、カースケの不良仲間(石橋正次)が登場したり、カースケとオメダが新しい下宿先(名古屋章、水沢有美)に引っ越したり、そこで4人目の「旅」の仲間(森川正太)や金貸し(結城美栄子)と出会ったり、グズロクの勤めていた会社が倒産し、上司(穂積隆信)や同僚(関谷ますみ、丘淑美)が焼き鳥屋を始めたり、4人で何でも屋の「何とかする会社」を作ったりします。
人生の中に、ありがちなありふれたことを描いているのですが、だからこそリアリティがあって感情移入できたのかもしれません。
1年1ヶ月にわたる本編放送終了後は、10年目(1985年9月4日)、20年目(1995年9月1日)、30年目(2003年12月16日)のテレフィーチャーが制作されました。
ところが、40年目(2015年が該当)はいっこうに作られません。
実際の制作面では、メイン監督だった斎藤光正監督や、鎌田敏夫が描いていたモデルも亡くなったことが大きいと思います。
『来て!見て!感じて!』によれば、斎藤光正監督が亡くなった時は、中村雅俊がコンサートで涙で声をつまらせたといいます。
ストーリー上は、マドンナ格の金沢碧演じる洋子を、30年目のテレフィーチャーである『俺たちの旅 30年SP 三十年目の運命』(2003年12月16日)で早逝させたことで、区切りをつけたのではないかと思われます。
といっても、多くの視聴者・ファンは、「いや、あれはカースケ、グズ六、オメダの3人の人生の旅ではないのか」と思われるかもしれません。
たしかにそれは描かれてきましたが、テレフィーチャーを含めて改めてストーリーを振り返ると、鎌田敏夫自身が、カースケと洋子の関係について「旅」を思わせる書き方をしているのです。
岡田晋吉Pが打ち明けた『俺たちの旅』の真相
「史上最高の最終回」は『俺たちの旅』だ
『週刊現代』(2015年1月17・24日号)では、『あの「TVドラマ」最終回はこうでした』という特集ページを、前半と後半に分けて8ページずつ掲載しています。
前半は、8ページのうち7ページが、『いま見てもグッとくる名作ドラマの「ラストシーン」』と題して、テレビドラマ史で真っ先に取り沙汰されるドラマについて、主演俳優の談話も入れながら最終回を解説しています。
登場する作品は、『寺内貫太郎一家』『われら青春!』『おしん』『金曜日の妻たちへ』『岸辺のアルバム』『北の国から』『3年B組金八先生』など、テレビドラマ史上欠くべからざる作品ばかりです。
そして、前半の最後の1ページで、岡田晋吉(元日本テレビプロデューサー)、柏原寛司(脚本家)という、とくに70~80年代のテレビドラマ史を語る上で重要なクリエーター2人が、『「史上最強の最終回」はこれだ!』というタイトルで、当時のドラマづくりについて振り返る対談を行っているのです。
岡田晋吉プロデューサーは、「史上最高の最終回」として『俺たちの旅』を選んでいます。
後半の8ページは、『ジャンル別感動場面をもう一度』という見出しで、文字通り「好視聴率だった最終回」「大河ドラマ」「青春ドラマ」「ホームドラマ」「刑事・探偵ドラマ」と、ジャンルごとに当時人気ドラマだった各作品の最終回を振り返っています。
『積木くずし』『男女7人秋物語』『ゆうひが丘の総理大臣』『おれは男だ!』『パパと呼ばないで』などが入っています。
岡田晋吉プロデューサーといえば、青春学園ドラマや刑事ドラマなど、日本テレビの名作ドラマを数え切れないほどプロデュースされた方です。
その中で、どうして『俺たちの旅』が「史上最高の最終回」だったのかについては、次のように語っています。
鎌田敏夫が考えていたのはあくまでカースケと洋子の「すれ違い」
岡田晋吉(プロデューサー)×柏原寛司(脚本家)対談によると、
放映当初は最終回の内容を設定しないで撮り始めた。カースケとオメダが洋子を取り合うなかでラストは決めよう、ってね。でもだんだん心情的にどちらかとっていうのが辛くなった。それで、どっちともくっつかずに3人が別れてるんです
と語っています。
放送当時は、「オメダと洋子を一緒にしてくれ」という投書が多くて迷ったそうです。
これは初耳でしたが、少なくとも鎌田敏夫が考えていたのは、決して三角関係ではなく、あくまでカースケと洋子の「すれ違い」であったと思います。
なぜなら、オメダの洋子に対する思いは一方通行であり、洋子は決してカースケから視線を外さなかったからです。
最終回では、カースケと洋子が一夜を共にしたことを示唆するシーンがあります。
が、それは将来を約束したわけではなく、むしろお互いの道で頑張ろうという別れの儀式のようなものでした。
そして、2人の旅は10年後に。
20年経ってもつまらない嘘でチャンスを逃した洋子
10年後のドラマで2人は再会しますが、またしても洋子が最後で結ばれるチャンスを逸します。
20年後に洋子は、貧乏学者(角野卓造)と結婚していますが幸せな結婚ではありません。
カースケも妻(石井苗子)に愛想が尽きたので、いよいよ洋子に対して本気になったと思ったら、何とここでも洋子はつまらない嘘をついてまた2人は結ばれません。
そして、30年後には洋子は森本レオと再婚した末に、何と亡くなった設定になっています。
要するに洋子は、カースケを思いながらもカースケとは結ばれたくないのです。
「ツムラくんはいつも勝手なんだから」と言いながら、一方的に背中を追いかけている、報われない愛が自分とカースケには合っていると思っていたような設定です。
あまりにも切な過ぎます。
不幸の光を放つことで人を魅了する金沢碧
どこか寂しさを感じさせる薄幸さもスター女優の条件
ネット掲示板では、金沢碧についてこんな書き込みを診たことがあります。
笑顔でもどこか困ったような微妙な表情するんだよね、この人
なんか不幸が付いて回ってるような感じの負のパワーを感じる
実は、その書き込みのあとに上梓された、前述の『来て!見て!感じて!』には、ヒロインの金沢碧が、表情も演技も硬い女優だったのに、監督のある“喝”で開眼したエピソードも述べられています。
金沢碧は、演技の上手い下手というより、薄幸そうな眼差しが私には気になっていたのですが、鎌田敏夫は大原麗子を例にあげて、「夜空に輝く星は、不幸の光を放つことで人を魅了する」と、どこか寂しさを感じさせる薄幸さもスター女優の条件であるとしています。
だからきっと「40年後」はもうない
『男女7人夏物語』『男女7人秋物語』など、鎌田敏夫作品は、演者のリアルな人間像と登場人物のキャラクターが重なるといわれますが、もしかしたら金沢碧こそ、洋子そのものだったのかもしれません。(実生活は知りませんけど)
洋子の早逝という決定的な別離をさせてしまった以上、30年続いた「旅」も終わりということ。
だからきっと、「40年後」はもうないだろうと私は思っています。
以上、『俺たちの旅』は実はカースケと洋子の旅だったから洋子が没した『俺たちの旅30年SP三十年目の運命』が最終回だった件、でした。
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