都民にとって物騒極まりない代物

暴力団排除条例が物議をかもしている。溝口敦氏の連載「斬り込み時評」(『日刊ゲンダイ』)が最近ネットでも話題になっているのだ。スポーツ紙やワイドショーでは絶対に書かない「島田紳助と暴力団の関係はどうなるか」について踏み込んだ指摘と推理をしているからだ。
今回(4日付)は暴力団排除条例について。「都民にとって物騒極まりない代物」「お粗末きわまりない条例」と厳しく批判している。興味深い部分を抜粋してご紹介しよう。
たとえば宅配便である。NHKで報道されたことだが、宅配業者が社員に、暴力団からの宅配依頼は断れと命じていた。小さなクリーニング業者などが片手間に宅配便の受け付けを請け負っている。そういうところのおばちゃんにも、暴力団が来て宅配を依頼されたら、断るよう指導していた。
溝口敦氏は、「非力なおばちゃん一人に『お宅の荷物は受け付けできないんです』と言わせるのか」と憤っている。

そう、この条例が総じていえる問題点のひとつは、「暴力団を孤立させ、資金供給を断つ」というスローガンのもと、国民にその判断や対応を求めていることである。

「暴力団を孤立させ、資金供給を断つ」のは、国民の生活を守るために警察が行う仕事ではないのか。

また、「孤立させ、資金供給を断つ」という問題と、個々のヤクザの「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(憲法25条)との衝突をどう整理するかという問題もある。

表現の自由と、プライバシーの問題や公人の定義との兼ね合いがあいまいであることから、こんにちいずれの理念も中途半端になっている。その愚を繰り返してはならない。

溝口敦氏は具体的にこう述べている。
たとえば父親が組員のため銀行口座を開けない。そのため授業料の自動引き落としができず、子供は現金で納入する。早晩、同級生に組員の子と知れ、いじめに遭う。子供は「暴力団関係者」だから、いじめられて当然なのか。逆に同級生が組員の子の家に遊びに行けば「密接交際者」になるのか。
このあいまいさは、いずれヤクザ以外の一般人にも影響を及ぼす可能性があることは10月1日にも書いたとおりだ。

近代「民主」警察は、自らが持てない「暴力性」を使って事を沈静化させたい時、ヤクザに取り入って利用した歴史がある。

終戦直後、“戦勝国民”と称した在日朝鮮人の身勝手な振る舞いを鎮めるために活躍したのは、70年代のヤクザ史に名を残す田岡一雄、地道行雄、菅谷政雄らの自警団、ギャング団であった。

ところが、恩知らず(?)の警察は、戦後の「民主」化を進める1950年に団体等規制令によって暴力団解散に動く。それが朝鮮戦争が勃発すると、その規制はいつのまにかうやむやになる。

昭和30年代、港湾労働者の側に立ちながらも非共産の港湾荷役協議会会員だった田岡三代目山口組組長は、国にとっては安心できる“リベラル”な活動家だったから黙認して一日署長すら任せた。

また、60年安保闘争のさなかであることから、警察はヤクザと共存する方策をとった。

それが山口組の勢力拡大抗争につながり、また昭和40年代になって社会も高度経済成長時代に入り、もはや戦後ではなくなると、今度はまた暴力団追放である。

頂上作戦と名付けて幹部を次々逮捕し、彼らから生業を切り離して資金源を断った。

しかし、だからといって警察は本気でヤクザ組織を壊滅しようとしたわけではない。

では今回は本気なのか。本気なら、こんなあいまいな条例ではなく、前述の問題をクリアした法律を作るべきだろう。

近代民主社会で、暴力を否定するのはもっともなことである。ただ、「暴力団追放」の本気度については、懐疑と監視の立場をとらざるを得ない。

溶けていく暴力団 (講談社プラスアルファ新書)

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  • 作者: 溝口 敦
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2013/10/22
  • メディア: 新書