だが、その「へだたり」はむしろ今の同党執行部が作り出したもので、もともと宮本顕冶議長が健在の頃の同党は、少なくとも北朝鮮が金正日体制に移行しようとした頃から厳しい態度をとっている。
幼い頃の金賢姫が写っている写真を公開
たとえば、ラングーン事件や、その後の大韓航空機爆破事件などがそうだ。日本社会党があいまいな態度をとる中で、日本共産党は北朝鮮を名指しで批判した。
その頃、萩原遼氏は宮本顕冶議長の指導のもとに、機関紙『グラフこんにちは』に幼い頃の金賢姫が写っている写真を公開した。
その写真は、萩原遼氏の著書『ソウルと平壌』などにも掲載されているから現在も確認できる。
金賢姫が“真相写真”に感謝配信元:産経新聞
2011/07/13 00:56更新
【ソウル=黒田勝弘】大韓航空機爆破事件(1987年)の金賢姫・元工作員が12日、事件直後に「金賢姫ニセ者」説を宣伝した北朝鮮当局に対し、北朝鮮での彼女の少女時代の写真を公表し、そのウソを暴いた日本共産党機関紙「赤旗」の元平壌特派員、萩原遼氏と会い、北朝鮮の“謀略政治”の実態について語り合った。
記事本文の続き 萩原氏は平壌特派員時代の72年11月、平壌訪問の韓国代表団を取材した。その際の写真を証拠に「金賢姫の実在」を明らかにしたことで知られる。金賢姫・元工作員は当時、小学4年生で、空港での要人歓迎の“花束少女”の1人として写真に写っていた。
2人の出会いはそれ以来、約40年ぶり。彼女は「いつか会ってお礼を言いたかった。真実追求にあらためて感謝します」といい、萩原氏は「写真など平気で捏造(ねつぞう)する北朝鮮の謀略体質はその後も変わらない」と語った。
当時の“現場写真”をめぐっては、北朝鮮当局が「金賢姫」とされた少女は別人だと主張し、平壌でさる女性を記者会見させるなど攻防があった。しかし別の日本人記者撮影の現場写真も公開されるなどでケリがついた。
萩原氏はその後、日本共産党を離れ、朝鮮戦争の真相研究に取り組み、近年は北朝鮮の独裁体制糾弾運動に尽力している。
この日は当時、韓国代表団のスポークマンで、現場で彼女から花束を受け取った李東馥氏(現、北韓民主化フォーラム代表)も同席し当時を振り返った。
金賢姫・元工作員は当時、李氏から花の名前を聞かれ、当惑したことを紹介。また北朝鮮当局が事件後に発表した空港出迎え写真では、彼女の存在を隠すため別人の顔にすげ替えられていたという。
宮本顕冶議長時代は独善的といわれた同党だが、たとえ「社会主義」を名乗る国だろうが、悪いことは悪いという態度は潔かった。
北朝鮮の拉致問題が世間で注目されているとき、「しんぶん赤旗」は不破哲三氏が中国の要人と会った話を延々とつづった中国見聞録を第一面に連載して多くの国民をがっかりさせた。
日本共産党が躍進できないのは、小選挙区制のせいだけではないだろう。