東日本大震災による被害の賠償や対策などはまだ解決したわけではないが、この間の報道について批判的に隠された真相も含めた雑誌記者の座談会を掲載しているのが『月刊『紙の爆弾』2011年6月号』だ。政府と大手マスコミ、御用学者のインチキぶりが具体的に書かれている。
筆者はこのブログで何度かに分けて、大槻義彦という自称「反疑似科学」の学者が、「原子力物理学者」を名乗り、いい加減な主張をブログや新聞等で行っていることを批判した。

「専門家」と大衆の「知識の差」を振りかざして、さかしらに語るものの、逆にそれが未知の事態を「合理的に怖がる」道筋を掃き清めることを妨害するものであり、筆者はその“理系夜郎自大”の暴言を見過ごせないと思ったからである。

この自称「反疑似科学」の学者は、人はどうして疑似科学(霊視商法やカルト教団等)に騙されるのか、というテーマにおいて、「理科教育が足りないからだ」と、科学知識の多寡にこの問題を矮小化し、その姿勢をやめようとしない。

ごく普通の良識があれば誰でもわかると思うが、科学知識はその疑似科学の真偽の判定には必要なことだが、それがすべてではないだろう。

「理科教育が足りない」からなら、なぜ理系の高学歴であった者たちがオウムに騙され同教団の幹部になり、大量殺戮を行い、結局自らの人生も棒に振ったのか。その説明が付かない。

「理科が足りない」というのは、実は「国語を減らせ」ということと同義にもなっているのだが、読解力や論理力は人間理性の基本であり、それなしに科学知識もヘッタクレもない。

筆者はオウム事件のあった15年前から、「反疑似科学」を売りにして小遣いを稼いでいる理系文化人たちにそのことを問いただしてきたが、誰もまともな回答をしていない。

その結果、わかったことは、
彼らは専門バカだから答えが出せない。そして何より、別に出そうとも思っていない。

要は、彼らにとってそれはどうでもいいことで、大事なことはそのことで本を書いたりテレビに出たり講演をしたりして金を稼ぎ、自らの分野のPRができればいいのである。

筆者は以前から、文系も理系も、学者も実務者(要するに医師やジャーナリストなど)も、問題解決を真面目に考えるのならみなが手を携えるべきで、「俺たちだけの世界」というセクト主義はとるべきではないという主張を行ってきたが、彼らはそれにたいして実のある回答をした事実はない。

そればかりか、その学者たちには信者がいて、筆者の意見は「思考停止」で、その学者たちの誹謗中傷を言っているということになっている。

曰く、「学者たちが(文理協働の)提案をしていないからといって、そのことを考えていないということにはならない(きっと何かを考えてくれているのだ)」

ここまでくると、もうカルトである。

彼らは、カルトを科学的に批判する、つまり「反カルト」という旗を立てた新たなカルトになっているのである。

とんだブラックジョークの世界ではないか。

今回についても、「大槻義彦先生は原子力の平和的利用を願っている立派な科学者なのに、お前ごときがケチをつけるのは何事だ」と言っている者がいる。

アホか、といいたい。

「原子力の平和的利用を願っている」かどうかという心の中はどうだっていいのであり、大事なことは、言説が今回の原発事故の真相に肉薄できているかどうか、なのである。

「原子力の平和的利用を願っている」と称する大槻義彦氏が言ったことをもう一度振り返ろう。

「レベル6は嘘だ。今回の事故はレベル4だ」(結局レベル7であることが隠されていた)
「国民は騒ぎすぎだ。我々専門家とは温度差があるね」
「汚染野菜はみなもってこい。私がみんな食べてやる。菅総理もそういうパフォーマンスをしなさい」
「政府に隠し事なんて何もありません」

なるほど。ある意味、「原子力の平和的利用」は当たっている。
だが、それは科学的にどうかという科学者としてチェックすべきことを一切拒否して
「一切の議論や批判をしない」という意味で「平和的」なのであり、
国民の「平和」ではなく、政府や東電や原発回りの学者の「平和」でしかないのである。

前置きが長くなったが、『月刊『紙の爆弾』2011年6月号』で語られている今回のデタラメ報道ぶりについて抜粋しよう。

「Y 原発事故でも政府と大手マスコミは、ウソばかりというか、本当にデタラメ続きでムチャクチャ。放射能は光の性質なんだから、原発から遮蔽物があれば、いったんはそこで止まる。つまり、山や建物で遮られれば、福島第一原発に近くても汚染はしない。だから雨や風向きが大事になるわけで、放射能汚染被害は道なりに広がり、決して同心円的に汚染されるわけではない。なのに、ミソもクソもいっしょくたに退避勧告を出し、メディアもそれに乗っかった。その結果、安全な避難地域に大量の窃盗団が進入、人けのなくなった家々を荒らし回ることになる。」

「X 結局、週刊誌の強さは、現場に行って生の取材をする。そこで、今、何が起こっているか、見たまま、調べたまま書く。確かに現地の生の声は、今回、ツイッターなどのソーシャルメディアでたくさん出たが、あまりにも異常な突発事案だけに、それが本当かどうか誰も判断ができなかった。そのくせ新開やテレビは政府、体制側に乗っで『安全だ』『大丈夫だ』としか言わない。結果、ネット情報と大手メディア情報が、まるで別の国の話のように食い違っでしまったんだよ。そのギャップを埋めたのが雑誌メディアだった。その意味で、雑誌の存在意義というか、存在価値があることを改めて知らしめた。だから雑誌系のライターや記者は、すごく頑張っでいるよね。

「Y 実際、いち早く現地の略奪行為、原発の危険性を訴え、『日本人よ、今こそ立ちあがれ』的なアピールをしたのは、すべて雑誌メディアだった。」

「Y いくら復興だ、原発事故対策だといっても、現場に行ったこともない原発学者、復興を指揮したことのない政治家や官僚の意見を、安全な記者クラブに居座り、震災現場の取材をしでいない記者が、下々に向かって「教えてやる」とニュースを垂れ流す。一番、大切な当事者である被災者が不在ということすら気づいていない。」

今回の震災は天災だが、その後は人災といわれる。人災としたのは誰か。私たちはきっちりと見極める必要がある。

筆者はこのブログで何度かに分けて、大槻義彦という自称「反疑似科学」の学者が、「原子力物理学者」を名乗り、いい加減な主張をブログや新聞等で行っていることを批判した。

「専門家」と大衆の「知識の差」を振りかざして、さかしらに語るものの、逆にそれが未知の事態を「合理的に怖がる」道筋を掃き清めることを妨害するものであり、筆者はその“理系夜郎自大”の暴言を見過ごせないと思ったからである。

この自称「反疑似科学」の学者は、人はどうして疑似科学(霊視商法やカルト教団等)に騙されるのか、というテーマにおいて、「理科教育が足りないからだ」と、科学知識の多寡にこの問題を矮小化し、その姿勢をやめようとしない。

ごく普通の良識があれば誰でもわかると思うが、科学知識はその疑似科学の真偽の判定には必要なことだが、それがすべてではないだろう。

「理科教育が足りない」からなら、なぜ理系の高学歴であった者たちがオウムに騙され同教団の幹部になり、大量殺戮を行い、結局自らの人生も棒に振ったのか。その説明が付かない。

「理科が足りない」というのは、実は「国語を減らせ」ということと同義にもなっているのだが、読解力や論理力は人間理性の基本であり、それなしに科学知識もヘッタクレもない。

筆者はオウム事件のあった15年前から、「反疑似科学」を売りにして小遣いを稼いでいる理系文化人たちにそのことを問いただしてきたが、誰もまともな回答をしていない。

その結果、わかったことは、
彼らは専門バカだから答えが出せない。そして何より、別に出そうとも思っていない。

要は、彼らにとってそれはどうでもいいことで、大事なことはそのことで本を書いたりテレビに出たり講演をしたりして金を稼ぎ、自らの分野のPRができればいいのである。

筆者は以前から、文系も理系も、学者も実務者(要するに医師やジャーナリストなど)も、問題解決を真面目に考えるのならみなが手を携えるべきで、「俺たちだけの世界」というセクト主義はとるべきではないという主張を行ってきたが、彼らはそれにたいして実のある回答をした事実はない。

そればかりか、その学者たちには信者がいて、筆者の意見は「思考停止」で、その学者たちの誹謗中傷を言っているということになっている。

曰く、「学者たちが(文理協働の)提案をしていないからといって、そのことを考えていないということにはならない(きっと何かを考えてくれているのだ)」

ここまでくると、もうカルトである。

彼らは、カルトを科学的に批判する、つまり「反カルト」という旗を立てた新たなカルトになっているのである。

とんだブラックジョークの世界ではないか。

今回についても、「大槻義彦先生は原子力の平和的利用を願っている立派な科学者なのに、お前ごときがケチをつけるのは何事だ」と言っている者がいる。

アホか、といいたい。

「原子力の平和的利用を願っている」かどうかという心の中はどうだっていいのであり、大事なことは、言説が今回の原発事故の真相に肉薄できているかどうか、なのである。

「原子力の平和的利用を願っている」と称する大槻義彦氏が言ったことをもう一度振り返ろう。

「レベル6は嘘だ。今回の事故はレベル4だ」(結局レベル7であることが隠されていた)
「国民は騒ぎすぎだ。我々専門家とは温度差があるね」
「汚染野菜はみなもってこい。私がみんな食べてやる。菅総理もそういうパフォーマンスをしなさい」
「政府に隠し事なんて何もありません」

なるほど。ある意味、「原子力の平和的利用」は当たっている。
だが、それは科学的にどうかという科学者としてチェックすべきことを一切拒否して
「一切の議論や批判をしない」という意味で「平和的」なのであり、
国民の「平和」ではなく、政府や東電や原発回りの学者の「平和」でしかないのである。

前置きが長くなったが、『月刊『紙の爆弾』2011年6月号』で語られている今回のデタラメ報道ぶりについて抜粋しよう。

「Y 原発事故でも政府と大手マスコミは、ウソばかりというか、本当にデタラメ続きでムチャクチャ。放射能は光の性質なんだから、原発から遮蔽物があれば、いったんはそこで止まる。つまり、山や建物で遮られれば、福島第一原発に近くても汚染はしない。だから雨や風向きが大事になるわけで、放射能汚染被害は道なりに広がり、決して同心円的に汚染されるわけではない。なのに、ミソもクソもいっしょくたに退避勧告を出し、メディアもそれに乗っかった。その結果、安全な避難地域に大量の窃盗団が進入、人けのなくなった家々を荒らし回ることになる。」

「X 結局、週刊誌の強さは、現場に行って生の取材をする。そこで、今、何が起こっているか、見たまま、調べたまま書く。確かに現地の生の声は、今回、ツイッターなどのソーシャルメディアでたくさん出たが、あまりにも異常な突発事案だけに、それが本当かどうか誰も判断ができなかった。そのくせ新開やテレビは政府、体制側に乗っで『安全だ』『大丈夫だ』としか言わない。結果、ネット情報と大手メディア情報が、まるで別の国の話のように食い違っでしまったんだよ。そのギャップを埋めたのが雑誌メディアだった。その意味で、雑誌の存在意義というか、存在価値があることを改めて知らしめた。だから雑誌系のライターや記者は、すごく頑張っでいるよね。

「Y 実際、いち早く現地の略奪行為、原発の危険性を訴え、『日本人よ、今こそ立ちあがれ』的なアピールをしたのは、すべて雑誌メディアだった。」

「Y いくら復興だ、原発事故対策だといっても、現場に行ったこともない原発学者、復興を指揮したことのない政治家や官僚の意見を、安全な記者クラブに居座り、震災現場の取材をしでいない記者が、下々に向かって「教えてやる」とニュースを垂れ流す。一番、大切な当事者である被災者が不在ということすら気づいていない。」

今回の震災は天災だが、その後は人災といわれる。人災としたのは誰か。私たちはきっちりと見極める必要がある。

ストーリー311 あれから3年 漫画で描き残す東日本大震災 (単行本コミックス)

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  • 作者: ひうら さとる
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
  • 発売日: 2014/03/11
  • メディア: コミック