「毒舌の談志」の意外な一面

立川談誌が亡くなったことで、ネットのウェブ掲示板ではさっそくスレッドがたっている。「立川」というのは、もともとどこの一門だろう、立体落語なんてやっていたから漫談家か、などと思う若い人もよもやいるかもしれないが、先代柳家小さんの弟子だ。相撲でいえば出羽の海一門みたいなものだ。
師匠が自分の弟子に必ずしも「柳家」「小」を名乗らせることにこだわらなかったので、小三冶のように「柳家」を名乗ったいかにも弟子とわかる場合もあれば、鈴々舎馬風や立川談志のようなケースもある。(鈴々舎馬風も立川談志も名跡自体は以前からあり、現在の談志は7代目である)。筆者が子供の頃は、柳家小ゑんと名乗ってS&B「モナカカレー」のCMに出演していた。

報道機関は、「喉頭がんのため都内病院で死去」(オリコン)と発表している。平成9年に食道がんを告白し、2年前には声門がん(喉頭がんの一種)を克服したと公表。近年は持病の糖尿病などの悪化で療養を続けていた。長男と長女の記者会見によると、昨年11月に喉頭がんが再発したという。

最近は声が出ないために高座を中止することもあったが、糖尿病の悪化で体力がなくなって声が出ないのかと思ったら、喉のがんだったわけだ。

立川談志が「声門がんを克服していた」との記事が出たのは「日刊スポーツ」(2009年2月7日付)である。

2008年春頃から声がかすれて出にくい状態が続いていた。同年9月にのどの組織の検査手術を受けたところ、このままだとがんになる可能性がある初期的な症状が見られ、投薬治療などを行った。その後、精密検査の結果、声門がんと診断された。1カ月半にわたり、毎週月曜から金曜まで都内の病院に通院しながら28回「もの」放射線治療を受けたとある。

声門がんは圧倒的に男性に多い。転移のない段階で発覚することが多いので、本来予後はよいとされている。「日刊スポーツ」記事に「28回『もの』放射線治療」と書かれているが、これは2Gyずつ照射する1コースの治療ではないのだろうか。

放射線照射は生涯照射量があるから、同じところに再発してももう放射線はできなかったのかもしれない。

ところで、筆者は以前、立川談志についてのあるエピソードを、談志の幼馴染みである大物歌手の次男から聞いたことがある。

次男はある健康食品の元締め的な立場にいるが、立川談志はその健康食品を勧められ、飲み続けて「効いているのかなあ」と言ったという話がある。筆者がそれを聞いたのは2004年だ。要するに、食道がん手術後のフォローアップという意味で、次男はその健康食品を立川談志に勧めたわけだ。

しかし、立川談志は結局咽頭がんになってしまった。健康食品を飲み続けてもなってまったのか、食道がんは克服したから飲むのをやめたのかは定かではない。

ただ、言えることは、「毒舌の談志」といわれ、シニカルな視点が売り物だった立川談志も、友情を大事にするためか、わらにもすがりたかったのか、とにかく健康食品を利用していたということである。いずれにしても、人間味ある話ではないか。

健康食品はエビデンスがないから利用する奴はトンデモ、という紋切り型の否定論に筆者は与しない。

往生に素懐を遂げられた立川談志さんのご遺徳を偲び、哀悼の意を表したい。

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