参政党の神谷宗幣代表が2025年7月3日の参院選第一声で放った「高齢の女性は子どもが産めない」という発言が、大きな波紋を呼んでいます。この発言は、少子化対策の文脈で語られたものですが、その背景には女性や皇室までもが「生むために生きている」かのような人生観が垣間見えます。
過去には「天皇陛下に側室を持っていただいて」という発言もあった神谷代表の一連の発言は、現代社会における人権意識や個人の尊厳について、深刻な問題を提起しています。
問題の核心:人を「生殖機能」で評価する危険性
【指摘】参政党・神谷宗幣代表、“高齢女性は子ども産めない”発言は「切り取り」https://t.co/iSnEFkOzBB
「高齢出産とかになってくるとリスクもある。なるべく若い段階で産むのがみんなにとっていいわけですよ。だからそういう社会の仕組みを作っていかないといけないっていうだけ」と主張した。 pic.twitter.com/3ak4DfvHYC
— ライブドアニュース (@livedoornews) July 5, 2025
神谷代表の発言で最も問題となるのは、人間を生殖機能の有無で評価し、その価値を決めつけているかのような視点です。「高齢の女性は子どもが産めない」という発言は、単なる生物学的事実を述べただけだという擁護論もありますが、政治家が公の場で発言する際の文脈や意図を無視することはできません。
さらに深刻なのは、過去の「天皇陛下に側室を持っていただいて」という発言です。これは皇室の方々さえも、男系皇統維持という目的のための「生殖の道具」として位置づけているように聞こえます。女性のみならず、皇室の方々の人格や尊厳を軽視した発言と言わざるを得ません。
リプロダクティブ・ライツの観点から
現代の人権思想において、「リプロダクティブ・ライツ(生殖の権利)」は基本的人権の一つとして確立されています。これは、産むか産まないか、いつ・何人子どもを持つかを自分で決める権利であり、妊娠、出産、中絶について十分な情報を得られ、「生殖」に関するすべてのことを自分で決められる権利です。
この権利の根幹には、「私のからだは私のもの」「産む・産まないは女性の自己決定」という考え方があります。これは単なる個人の選択の問題ではなく、長い間国家や家族、夫によって支配されてきた女性の身体や生殖機能を、女性自身の手に取り戻すという歴史的文脈の中で理解されるべきものです。
現実的な課題:結婚の前提条件が困難な現代
神谷代表の発言が示すような「若い女性に子どもを産んでもらう」という発想は、現代日本の社会経済的現実を無視しています。子どもを持つためには、まず結婚という選択肢が現実的でなければなりませんが、この前提条件そのものが現代では大きな障壁となっています。
厚生労働省の最新統計によると、2024年の婚姻件数は48万5,063組で、前年より1万322組増加したものの、1970年代のピーク時の約半数に過ぎません。平均初婚年齢は、夫が31.1歳、妻が29.8歳と年々上昇傾向にあります。
この背景には、経済格差の拡大とワーキングプアの増加があります。非正規雇用の増加により、安定した収入を得ることが困難になった若者たちは、結婚や子育てという人生設計を描きにくい状況に置かれています。住宅費や教育費の高騰も、若い世代の結婚への意欲を削いでいます。
根本的な社会構造の問題
少子化問題の根本には、個人の選択の問題ではなく、社会構造の問題があります。長時間労働、育児と仕事の両立困難、保育園不足、男性の育児参加の低さ、教育費負担の重さなど、子育てを取り巻く環境の厳しさが、多くの人々から子どもを持つ選択肢を奪っています。
また、日本社会に根深く残る性別役割分業の意識も大きな問題です。「男性は仕事、女性は家庭」という伝統的な価値観が、女性のキャリア形成と子育ての両立を困難にし、男性の育児参加を阻害しています。
現代社会における「生殖の前提」の崩壊
ここでまた、しばしばご紹介する筋肉弁護士の意見を引用します。
パレートの法則(80:20の法則)というのがあるが、「出産子育て適齢期」の男女関係についても当てはまるといいます。
いわゆる「三高(高収入、高学歴、高身長)」の男性は全体の20%。
釣書きや財力、見てくれを欲しがる「玉の輿志向」の女性たち80%は、その20%の男性に集中する。
すると、「非三高」の80%の男性はあぶれる。
彼らは、「三高」にこだわらない残り20%の女性から探すが、最大限まとまっても、60%の「非三高」男性があぶれる。
一方、20%の「三高」男性に群がった80%の「玉の輿志向」の女性たちも、60%があぶれる。
あぶれた60%同士が結ばれればいいが、そうはならないから、結婚し損なう男女が一定数出てくる。
まあ実際には結婚は男女対等の問題ですし、「三高」男性が、かならずしも「玉の輿志向」の女性を選ぶとは限らないので、話はそう単純なものではないことはたしかです。
ただ、何をいいたいのかというと、格差や、まだまだ残っている男性社会、裏を返すと「世間体のいい男性」を渇望する「古典的な女性」の存在、という現実がある以上、マクロな統計としてこの「パレートの法則」は、当たらずといえども遠からずではないかと思えます。
縁談がまとまらなければ、子どもは作れません。
神谷代表が、「生殖繁栄こそ我が党の政策」と自信を持って言い切るのなら、この出産子育て適齢期でも結婚できない一定数が出る問題に対して何らかの方策を述べるべきです。
「もっと子どもを産め」というメッセージだけでは、すでに困難を抱えている人々をさらに追い詰める結果になりかねません。
求められる政策の転換
真の少子化対策には、個人の尊厳と自己決定権を尊重した上で、子どもを持ちたいと思う人々が安心して子育てできる社会環境の整備が必要です。
具体的には、労働環境の改善、保育サービスの拡充、教育費負担の軽減、男性の育児参加促進、ワーク・ライフ・バランスの実現などが挙げられます。また、結婚という形態にとらわれず、多様な家族形態を支援する制度の構築も求められます。
何より重要なのは、女性を「産む機械」として扱うのではなく、一人ひとりの人格と尊厳を尊重し、その人生選択を支援する社会を作ることです。
終わりに
神谷代表の発言は、現代日本社会に潜む人権意識の問題を浮き彫りにしました。人は「生むために生きている」のではありません。一人ひとりが自分らしい人生を歩む権利を持っており、その選択は尊重されるべきです。
真の少子化対策とは、個人の選択を強制することではなく、多様な生き方を可能にする社会を作ることにあります。政治家には、時代遅れの価値観を押し付けるのではなく、すべての人の人権と尊厳を守る社会の実現に向けて、建設的な議論を主導する責任があります。
参考文献:
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