『あなたの好きな昭和仮面ライダーは?』というアンケートで、第5位に入ったのは仮面ライダー2号。変身ポーズの元祖になります。その意味では、得票数は335票、得票率は7.5%というのはいささか物足りませんが、佐々木剛さんについて振り返りましょう。
『あなたの好きな昭和仮面ライダーは?』というアンケートを、2021年2月20日から3月5日まで、ねとらぼ調査隊では実施していました。
昭和時代に登場したのは15体の仮面ライダー。
総数4457票もの得票を集計した第1位は、すでにご紹介した通り第1号でした。

ただ、仮面ライダーにはお約束の変身ポーズを最初にとったのは、仮面ライダー2号の佐々木剛さんです。
藤岡弘、さんのケガで登場した仮面ライダー2号は、その後私生活で苦労しましたが、現在は居酒屋「バッタもん」を開業。
自ら玉子焼きを焼いてファンと語り合う日々を送っています。
藤岡弘さんが復帰するまでという公約を守る
今日は劇団 #新国劇 が解散した日(1987年)。出身者にはテレビドラマや映画で活躍した俳優も多数。#石橋正次、#佐々木剛、#黒川弥太郎、#緒形拳、#辰巳柳太郎、#大山克巳、#大友柳太朗、#上田吉二郎、#五大路子、#美川陽一郎、#原健策、#島田正吾、#大河内傳次郎、#若林豪(順不同)など。#劇団新国劇 pic.twitter.com/86C2WUQ0xx
— 富士壱太郎@ネット著述屋 (@fuji_ichitarou) September 7, 2020
佐々木剛さんは、1947年5月7日生まれ。新潟出身。
1965年に高校卒業後、日活のスターだった赤木圭一郎に憧れ映画俳優になろうと東宝芸能学校に入ります。
その後、滝沢修さんの演技に影響され、新劇に転向します。
劇団NLT俳優教室1期生として入団。この後輩が、仮面ライダー1号の藤岡弘、である。
佐々木剛さんの芸能界のスタートは劇団NLT俳優教室1期生。
そこから劇団俳優小劇場付属養成所を経て新国劇の研究生になります。
劇団NLT時代は藤岡弘、さんね新国劇の同期には石橋正次さんがいます。
新国劇。
そうそうたる顔ぶれです。
1970年、『柔道一直線』(東映、TBS)出演を機に芸名を「佐々木 剛」に改めますが、ここから色々なドラマに出演するようになります。
そんな中で、劇団NLT時代に一緒にやっていた藤岡弘さんが怪我をしたので、仮面ライダーのオファーが来ます。
しかし、佐々木剛さんは、一緒にやっていた藤岡弘さんから仕事を奪う気はないからと、あくまでも藤岡弘復帰までの代役として引き受けます。
第14話から一文字隼人が登場。
急なオファーでバイクの免許もまだとっていなかったので、考えついたのが変身ポーズ。
これが、のちの仮面ライダーのお約束になりました。
仮面ライダーについては、今更説明の必要もない、人気特撮番組だが、目玉になっているのは変身ポーズ、
その元祖に当たるのが、ライダー2号・一文字隼人なのです。
冒頭のアンケートでは第5位だそうですが、その点はもう少し評価されてもいいのではないかと思います。
本当はジャケットのチャックを開けて、ベルトを出して変身ポーズをするのに、あの時は変身ポーズに入ってから『あ、ベルト見せてねえや』って思って、慌ててベ ルト見せて、それからまた変身ポーズに入ったの。
でも、監督も変身ポーズをちゃんとわかってなくて『はい、OK!』って撮影終了。だから、あの時だけ二段モーションになってるんだよ。なんか伝説の二段モーションっていわれてるみたいだけどね(笑)(https://wpb.shueisha.co.jp/news/entertainment/2016/05/07/64808/)
と記事で語る佐々木剛。
変身ポーズや、わかりやすいアクションで、ドラマは視聴率30%を超えて人気番組になります。
しかし、佐々木剛さんは決してそのことをひけらかしません。
そして、藤岡弘さんが復帰すると、まもなくして公約通り降板。
情に厚く盟友のために颯爽と去っていき、その功績を決してひけらかさないのです。
藤岡弘、さん復帰後は、第2号は南米へ旅立った設定になり、たまに帰ってきて、ダブルライダーとして悪役のショッカーと戦っています。
古いファンは、この元祖『仮面ライダー』と、1号・2号がストーリー展開に絡んでくる、風見志郎(宮内洋)の『仮面ライダーV3』までを「元祖」とする見方もあります。
しかし、そんな佐々木剛さんに災難が降りかかります。
1982年2月15日の早朝、妻と泥酔して自宅アパートに帰宅後、ガスストーブを点けたまま寝入ってしまい、その上にバスタオルが落ちて出火、自宅アパートだけでなく隣家も全焼する大火災となるのです。
石橋正次さんらのサポートでカムバック
佐々木剛さんは、火災で顔を含む全身の7割に及ぶ大火傷を負い、何度も生死の境をさまよいます。
5度に及ぶ皮膚移植手術で一命は取り留めたものの、顔には俳優として致命的な傷跡を負うこととなりました。
不幸中の幸いだったのは、3人のお子さんが妻の実家に行っていたため、被害を免れていたことでしょう。
火災がいいわけがないのですが、もうひとつ「不幸中の幸い」だったのは、佐々木剛さんが一酸化炭素を吸って低酸素脳症にならなかったこと。
火災の死因は、実はそちらのほうが多く、かりに生還したとしても、脳に障害を残すのです。
ただし、それは佐々木剛さんの火傷が大したことないという意味ではないんですよ。
入院と度重なる手術で借金の額1000万円。
新国劇の師匠からも「役者は諦めろ」と宣告され、長らく俳優業を離れることとなります。
佐々木剛さんの自著によると、治療・入院のための借金返済と生活の維持のため、警備員、チリ紙交換、焼き芋屋、竿竹屋と職を転々としたそうです。
あの売れっ子俳優がそうだったのか……、と思いました。
役者を諦めざるを得なくなり自暴自棄で酒に溺れ、家庭も崩壊。
かつての仮面ライダー2号は、車の中で寝泊りするホームレスに転落してしまいました。
しかし、その後、石橋正次さんが、俳優としてカムバックすることを勧め、舞台のチャンスを作ってくれました。
それで少し自信を取り戻した佐々木剛さんは、日光江戸村の住み込み役者に。
生計を建て直し、借金を返済する頃には、別れ別れになっていた息子との再会も経験できました。
こうやって、徐々に経済的にも精神的にも元気を取り戻した佐々木剛さんは、21世紀になってやっと、元仮面ライダーとして表舞台に復帰したのです。
火災からのカムバックはそれ自体すごいこと
大好きな俳優 #佐々木剛 さん。順風満帆の人生からドン底に。自身の精神力・才覚だけでは支えきれない部分を、石橋正次さん達 友人が支えてくださった。ファン諸氏のために生きたい、恩を返したい…という真摯な生き様に身震いする。https://t.co/7N9J8WAC11 pic.twitter.com/0o2LFvi2jb
— 昭和レインボー (@ShowaRainbow) September 25, 2022
佐々木剛さんは、現在「バッタもん」という居酒屋を開業しています。
ファンと語らう場を作っておきたかったためといいます。
ドン底の生活を味わっても決して困難にも挫けず、また支えてくれた人達への感謝も忘れません。
しかし、従業員はおらず、佐々木剛自身が料理も作ります。
人経費が出るほど利益がないからだそうです。
それでも、35年たって、やっと俳優として当時を語れる立場にまで戻れた、というのは嬉しいことでしょう。
火災というのは、これだけ恐ろしいものなのです。
私も、2011年に火災を経験したのですが、2011年の5月下旬に火災で、妻子が意識不明の重体。
妻は心肺停止、子どもたちはJCS300の深昏睡で気道熱傷。
当時、店舗兼用住宅で、下の階が仕事場、上が住居になっていたのですが、仕事場の方は全焼。
にもかかわらず、たった1ヶ月後に、「落ち着きましたか」と聞いてきた仕事関係者がいました。
風邪引いたんじゃないんだからね。
佐々木剛さんは30年かかっているんですよ。
佐々木剛さんのカムバックはスゴイことなのです。
それとともに、火災からのカムバックというのは、それだけ大変なのです。
以上、『あなたの好きな昭和仮面ライダーは?』というアンケートで、第5位に入ったのは仮面ライダー2号。変身ポーズの元祖になります。でした。
コメント