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横山ノック(1932年1月30日~2007年5月3日)。漫才師から大阪府知事まで上り詰めた華々しい経歴でしたが、最期は惨めでした

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横山ノック(1932年1月30日~2007年5月3日)。漫才師から大阪府知事まで上り詰めた華々しい経歴でしたが、最期は惨めでした

横山ノック(1932年1月30日~2007年5月3日)。漫才師から大阪府知事まで上り詰めた華々しい経歴でしたが、最期は惨めでした。もちろん、それは自業自得だったわけですが、最期まで復帰に向ける意気込みも見せていたことが一部で報じられました。

横山ノック元大阪府知事。

華々しい経歴だったが最期は惨めでした。

2003年10月29日付『東京スポーツ』を見ると、横山ノック・前大阪府知事の顔写真が出ています。

同年27日に開かれた「夢路いとしさんお別れ会」で、「芸能界復帰をブチ上げて関係者を驚かせた」記事が出ています。(以下敬称略)

政治家でもタレントでもどちらでもよかった

『東京スポーツ』(2003年10月29日付)によると、「これからはライブの時代」と、テレビやラジオではなく、舞台での復帰を考えているという話です。

要するに、芸能事務所などが救いの手を差し伸べてくれなかったので、芸能事務所の力なしでも活動できる道に活路を見出そうとしたわけです。

しかし、横山ノックは2003年7月24日、「今年は、大きな転機になる。老骨にむち打って、府民への裏切り行為について、罪滅ぼしをすることを考えていきたい。大阪府の繁栄を祈ります」と、政界復帰宣言ともとれるスピーチを行ったばかりです(『サンスポ・コム』2003年7月25日更新)。

いったい本心は、政治なのか芸能界なのか、どっちなのか。

まあきっと、どちらでもよかったのでしょう。

それらの発言は、元政治家らしく、いろいろ観測気球を上げて世間の反応を確かめていたのだと思います。

そして感触のいい方に傾くこうとしたのです。

まるでやじろべえのように。

芸能界のカムバックについては、吉本興業の林裕章社長から、「タレントとして使う意思は全くございません。役員一同の意見です」(『日刊ゲンダイ』2000年6月30日付)と三くだり半を突き付けられ、個人事務所もすでに閉鎖していました。

だから、「芸能界復帰」といっても「テレビやラジオではなく、舞台」しかなかったのです。

本来なら、ここまで追い込まれていれば、汚した晩節の傷口を広げぬように大人しく身を引くものですが、多額の借金を抱えているといわれており、とにかく何かをせざるを得ないのかも知れません。

しかし、例の「強制わいせつ事件」は、行為自体はもちろん、訴えられてからの経過についても、「権力犯罪」としての本質をもつ以上、そう簡単に水に流すことはできませんでした。

さらに付け加えれば、振り返るに、政治家としても、お笑い芸人としても、その姿勢に問題もあったのではないでしょうか。

いつもご都合主義の行動

最初の参議院選挙の時、横山ノックは、社会風刺ネタで一世を風靡する、ノック・フック・パンチの漫画トリオという人気トリオ漫才を率いるリーダーでした。

それがいきなりの出馬だったため、残されたトリオのフックやパンチらは、その後始末や以降の自分たちの仕事を軌道に乗せるために大変苦労したといいます。

6年後に横山ノックは1度落選していますが、当時はテレビのワイドショーの中で、横山ノックの「芸能界復帰パーティー」を行っています。

それで気をよくしたのか、横山ノックは身勝手にも、フックやパンチにトリオ復活を持ちかけました。

そうすれば、トリオ時代のギャラと名前ですんなり芸能界に復帰できるからです。

自分の都合でトリオを捨てておきながらムシのいい話ですね。

ケースは違いますが、元ドリフターズ・ドンキーカルテットの小野ヤスシが参議院選挙で落選したとき、「ぼくは芸能界を裏切った人間ですから、また復帰というのはムシが良すぎるかも知れませんが」と、奥ゆかしく芸能界復帰を望んだのとは偉い違いです。

案の定、これはうまくいきまんでした。

フックは、青芝フック・キックという漫才を軌道に乗せつつあるときで、「キックに6年前の自分の苦労をさせられない」と、身勝手なトリオ復活には拒絶反応を示しました。

パンチは上岡龍太郎としてすでに売れっ子になっていたが、彼らしく、自分の仕事優先で、余技としての「復活」には含みを残しました。

結局、出馬前のような絶頂を取り戻せなかった横山ノックは、3年後に国会議員に復帰。

以降、無所属、二院クラブ、革自連、民社党と、左右大小の会派をウロチョロし、結局これといった実績は残していません。

それでも、自転車を使った選挙運動や風呂に入って有権者の背中を流すなどのパフォーマンスなどで、選挙には強く、計4期参議院議員をつとめています。

そのへんが、私が大阪を理解できない理由のひとつなんですが、ま、東京も似たようなもんか。

困ったよね、B層には。

その後、政界再編と無党派ブームなるものに目をつけ、大阪府知事に転身するものの、知事1期目の在任中も議会になめられていました。

しかし、それは逆に、「議会にいじめられながら耐える無党派知事」というギミックになり、人気が高まりました。

自分が無能であるのに、逆に世間を味方につけるというのは、やっぱり人気商売の才能なのでしょうか。

結局、何一つ責任ある仕事を成し遂げることもないまま、笑いに寛容過ぎる大阪で庶民派を装って生き延びてきたわけです。

だから横山ノックの知事2期目はほとんど無風選挙といわれました。

その年の大阪府知事選は、有権者も既成党派もノックも、みなが緊張感が欠如していたと思われます。

例の事件は、そんな気のゆるみも一因ではなかったのでしょうか。

事件の概要

2期目の選挙活動の際に、運動員をしていた女子大学生から、「選挙運動中に下着の中に手をいれられた挙げ句に性器を触られ、当日性交をするために自分の所へ訪れよと命令された」など、強制わいせつ容疑で大阪地検特捜部に告訴され、また強制わいせつとセクハラ行為で民事訴訟を起こされました。

それに対して横山ノックは「事実無根」と完全否定。

あろうことか、女子大学生を虚偽告訴容疑で逆告訴しました。

上坂冬子や曾野綾子などの一部保守系文化人は女子大学生側に対し、「胡散臭い」「なぜその場で声をあげなかったのか」と批判しました。

女性の敵は女性ですな。

裁判開始後、横山ノックは、「公務の時間を奪われたくない」という理由で、答弁回避を選択。

そのくせ、法廷外での記者会見や府議会では、女子大学生を非難する卑怯な発言を繰り返したことが批判を浴び、辞職を求めるデモも起きました。

それにしても、選挙運動のさなかに、選挙カーの中でそういうことをするというのは、私には理解の限度を超えています。

そういうことをしたら、そっちにエネルギーを使ってしまい、演説とかできないような気がします。

運動員は、見て見ぬふりだったのでしょうか。

下着から出した指をしゃぶったそうですが、その手で有権者と握手したのでしょうか。

1999年12月13日に大阪地方裁判所は、わいせつ行為を認定および、横山の逆告訴や法廷外での発言を名誉毀損であると認定し、ノックに女子大学生に対して1100万円(セクハラ訴訟としては過去最高額)の支払いを命じました。

1999年12月21日に、大阪地方検察庁特別捜査部は、横山ノックを強制わいせつ罪で在宅起訴。

この段階になって、横山ノックは辞職し、強制わいせつ罪の事実を認め女子大学生に謝罪しました。

刑事罰をウケないと、トボけるつもりだったのか。

まあ、人間が悪いことをすると、自己批判するのは発覚してからですが、公人ですからね。

悪いことをしながら、それを隠し続けて公務をしていたわけで、コラとんでもないことですよ。

2000年8月、強制わいせつ罪により懲役1年6か月・執行猶予3年の有罪判決を受け、横山ノックは控訴しなかったので、判決が確定しました。

以上、横山ノック(1932年1月30日~2007年5月3日)。漫才師から大阪府知事まで上り詰めた華々しい経歴でしたが、最期は惨めでした、でした。

平成の芸能裁判大全 - 芸能裁判研究班
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この記事を書いた者
草野直樹(かやのなおき)

自己肯定感も、自己意思決定能力も低かったのですが、昨今流行の家系図作りをしているうち、高祖叔父と“日本のケインズ”の接点を発見。仙台藩で和喜次時代のお世話役で姻戚関係も!?。もう30年早く知りたかったなあという思いはありますが、せめてこれからは一国民、一有権者の立場から、ケインズ系経済学支持者としての発言を自分の意志で行っていきます。

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