今年は台風が多いですね。東京は峠は超したようですが、風がすごかったです。キラー・カーンは、ニューヨークではスターになりましたが、試合運びは?森光子と船越英二が夫婦役だった『時間ですよ』がBSトゥエルビで放送されます。
昨晩、首都圏の電車はみな運休させましたから。実家の玄関に、火災でも燃えなかったVHSビデオテープを重ねています。それがいささか心配です。
デジタルデータ化しようと思っても、なかなか日々忙殺されて手がつけられず、置くところもないので外に出しっぱなしなのですが、いよいよこの雨風でもう再生不可かもしれません。
まあほとんどはドラマや映画で、今はネットやDVDでまた見ることはできるのですが、当時のCMとか、時代を感じるものもあるので、できればデジタルデータとして保存しておきたいものなのです。
キラー・カーン
プロ野球のセ・リーグは、今年も広島が優勝しました。
去年は、大差で3位のDeNAが日本シリーズへ出場しましたが、またそんなふうになるのでしょうか。
6チームしかないのに、3位までクライマックスへ出場できるとか、チャンピオンカーニバルで優勝したのに、「さあ、これから3位までのメンバーで真の王者を決めるぞ!」なんて言われたら、アブドーラ・ザ・ブッチャーだって怒ります。
そういえば、新日本プロレスのMSGシリーズで、予選1位のアントニオ猪木が欠場し、2位のアンドレ・ザ・ジャイアントと3位のキラー・カーンで決勝戦やったことがありました。
アントニオ猪木の価値を守りながらアンドレ・ザ・ジャイアントにもはなをもたせて、キラー・カーンも売り出すという欲張りなプランだったと思うのですが、もしキラー・カーンが勝ったら、予選3位なのに優勝。
では予選て何だったのという感じがします。
キラー・カーンについては、「キエーッ!」と叫びながら繰り出すモンゴリアン・チョップはいかにも漫画っぽかったという意見もあります。
ジャイアント馬場のような飛び道具がないので、盗塁のできないチームの野球を見ているようでした。
試合にメリハリとか、観客をおッと思わせて試合の流れを変えるとか、それがなかったですね。
ジャイアント馬場は日本プロレス時代は、たとえばインターを取られたジン・キニスキー戦で、ヘッドシザースをわざとゆるくして相手に外させて、今度はフライングヘッドシザースをやり直して観客に「おッ巨体でも身軽だな」と思わせその余韻に浸るあいだ、またしばらくヘッドシザースをかけて休んでました。
休むところ、やられるところ、攻撃するところがメリハリがあって面白かったです。
ニコ動では「勉強になる」とコメントもされていましたが、それが奇声とチョップだけでは飽きられてしまうかもしれません。
でもまあジャイアント馬場の頃とはプロレスが変わりつつあるときだったので単純な比較はできないかもしれませんね。
船越英二と森光子
『時間ですよ』(1970年2月4日~1973年9月5日、TBS)という昭和の人気ドラマの1971年版が、BS12トゥエルビで10月3日よる8時00分から放送開始されるそうです。
1970年代の東京都品川区五反田(大崎広小路あたりか)の銭湯を舞台とした、ドラマにバラエティ的要素を絡めた人気ドラマでした。(画像は断りのない限り『時間ですよ1973』から)
ご存知、松の湯のおかみさん、松乃まつは森光子、その夫は船越英二です。
森光子と船越英二が夫婦役だったのです。
このドラマが始まるまでは、船越英二は大映でバリバリのスター扱いでしたが、森光子は東宝で淡島千景や淡路恵子よりも格下の第2グループのような感じでした。
役者としては船越英二のほうが大物なのに、このドラマの出演者としては森光子が主役で、しかも船越英二のほうが若かったので、一部では夫婦のキャスティングとしては適当ではないというような批判もなきにしもあらずでした。
ところが、このドラマのあと、森光子は「おかみさん」として70~80年代ドラマで主役を張るようになり、化け物といわれるようにあまり歳も取らず舞台ではでんぐり返しをして「3時のあなた」の司会もがんばってやっていましたが、一方の船越英二は脇に回るようになり、早く老け込んで亡くなったのも先でした。
まあ男のほうが寿命は短いのですが、船越英二はやはり映画の人で、森光子はテレビに来てから自分の価値というか序列を上げました。
映画の序列がそのままではなく、テレビでは変わってしまうところが、プロレスがテリトリーによって格が違うことを連想してしまいます。
時間ですよ 1971 BOX1 [DVD]
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