結婚自体を否定できないけど自信もないから、結婚生活の定義を全部否定しているとしか思えない「契約結婚」が話題になっています。結婚の定義に沿わない実態は結婚とはいわないし結婚と自称する必要もありませんが、下記の夫婦の考えはどう思われますか。
これは、ハフポスト日本版という、アメリカのリベラルを標榜するオンラインメディアと、朝日新聞社との合弁事業(執筆は朝日新聞)が配信したものです。
この「夫婦」、どう思われますか。
添い寝あたりまでは、ひとつの価値観と思いましたが、 「お互いの性的パートナーと同居・入籍」というのは、結婚の定義から明らかに逸脱しているでしょう。
これに対するFacebookの的を射たコメントの数々。
>ある意味覚悟がない気がする。当人に覚悟がなければ相手にも覚悟は要求できない気もします
>こういう契約をわざわざすること自体、逆に旧来の封建的なモラルに縛られていて人権意識が低いのではないか? あるいは商業主義に毒されているのか? などと思えてしまった。
>逆に結婚って制度から抜け切れずに、精神的に縛られた反動のような気がする。
>いちいち表明する必要ないし、参考にする必要もない。
>責任回避結婚??(笑)
>籍を入れることは、親族も関わることなので、やめたいときにやめられる?!そんな簡単な考えではいかんよ!なめているのか!と感じますね。
> 男からしたら都合いいよね?女は35歳過ぎたら子供も期待できないしねぇ容姿も落ちる女が一方的に不利だと思う。男は腹が出ていてもハゲていてもどうにかなるがフェアじゃない様に思えるが?あまり自由を求め過ぎると社会生活を否定しかねないと感じる今日この頃(笑)
さて、感想ですが
「結婚って制度から抜け切れずに、精神的に縛られた反動」という指摘が至言だとおもいます。
籍も入れない、お互いの性的関係にも干渉しない、お互いパートナーを伴って同居したい
これって、そこまでして「結婚」する必要はないですよね。
結婚とは、夫婦はお互いに生活保障をしますよ、子どもが生まれたら養育や教育の義務を負いますよ、一つの戸籍になって家族として生活を営みますよ、という契約です。
これが嫌なら「結婚」しなければいいだけのことです。
この夫婦は、添い寝できるパートナーがほしいと言っていますが、何も添い寝だけなら結婚する必要はありません。
結局、結婚自体を否定できない、でも自信もない。
そういう弱くてずるい人間が、「契約結婚」と称して、まるで新しい結婚生活の提案であるかのように語っているだけです。
この夫婦がおやりになっていることは、「新しい結婚生活」ではなく、はじめから「結婚生活」ではないとおもいませんか。
以上、「契約結婚」と称する内容は未入籍で互いの性的関係不干渉というが結局結婚自体を否定できないけど自信もないだけの話、でした。
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