森昌子は『花の中三トリオ』の中でも一番人気だった、というと意外かもしれませんね。やはり見た目アイドルの桜田淳子や、青い性典路線で売り出した山口百恵という予想が大方でしょう。しかし、これは本当の話でそういうアンケート結果があったのです。
レッツビギン先生が憧れだった森昌子
私は以前述べたように、お受験でアイドルミーハーになれるチャンスを失い、林寛子でやっとその機会が来たのですが、その時点で『花の中三トリオ』は芸能活動がもう軌道に乗っていました。
その頃、親戚の伯母が、「芸能界で処女は森昌子ぐらいだ」と言っていたので、「えー、なんにもわかってないんだな」と思いました。
月刊『平凡』の74年11月号に発表された「オールスターベストテン順位表」という人気投票では、森昌子が7位(9855票)、そのすぐ後の8位に桜田淳子(9144票)が入り、すでに青い性典路線があたった山口百恵ですが得票で2人に後れを取った10位(5274票)で、3人の中でまだ森昌子がトップだったんです。
1974年といえば、桜田淳子もレコード大賞最優秀新人賞をとっていたときですから、やはり意外と思われる方が多いかもしれませんね。
まだ昭和40年代というと、アイドル歌手にも、下町の大衆性を望んでいた時期だったのかもしれません。
森昌子はもともとデビューしても区立の中学に通い、修学旅行まで行きました。
ファンも、そういう森昌子を応援しました。
そして、当時の森昌子自身の憧れは、人気ドラマ『飛び出せ!青春』(1972年~1973年、東宝、日本テレビ系)のレッツビギンこと河野武先生。
村野武範に憧れたのか、劇中の河野先生に憧れたのかわからないが、とにかく憧れていたという話が出ていました。
中学の先生の中にすてきな先生は?「『飛び出せ!青春』(当時放送されていた日テレ系の人気学園ドラマ)の河野先生(村野武範)のように、男らしい先生がいればいいんだけど」と笑った。学校には「午前中は毎日行ってます。今日は久しぶりに午後の授業が終わる4時10分までいられたの」とうれしそう。
ボーイフレンドは?「いっぱいいる。みんなケンカ友達。気が短いから、すぐカッとしてほっべたなんてぶっちゃう。でも2分も持たずに仲直りしちゃうけど」。勝ち気なところを見せた。
女友達は?「やっぱりいっぱいいる。女の子のほうが何でも相談できるのでいいな」
ファンレターは?「1日平均300通くらい来ます。『友達になってください』とか、『10年たったらボクのお嫁さんになってください』とか、読んでいて噴き出しちゃうのもあります」
今後の抱負について聞くと、「美空ひばりさんや郡はるみさんが好き。今はポップス調のを歌っているけど、本当は演歌が歌いたいの。コブシの利いた演歌を歌おうと思っている。歌は好きだからず~っと続けていきたい」と答えた。(『東京スポーツ』2014年4月25日付)
どうも村野武範にあこがれていたというより、劇中の河野武に憧れていたのでしょうね。
『花の中三トリオ』の扇の要
「松竹・ホリプロ提携作品」と銘打たれた『としごろ』(1973年、松竹)という映画は、和田アキ子、石川さゆり、山口百恵など、売出し中のホリプロタレント総出演でしたが、事実上森昌子が主演でした。(冒頭画像も『としごろ』より)
その森昌子の役柄は、森昌子は、山口百恵の1年先輩ということになっていて、卒業後は高校に進まず、実業団のある大きな会社にも入らず、地元の板金工場で働きます。
同僚(夏夕介)と親しく、主任(村野武範)が相談相手です。
薄幸を売り物にした山口百恵でさえ、本作では、自分が所属する部活のために食事を振る舞う景気のいい役です。
そして、持ち歌を3曲も披露しています。
ですからやはり、森昌子は『花の中三トリオ』の扇の要だったといえるのではないでしょうか。
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