ロディ・パイパーがネットで話題になっています。WWE日本「公演」に初来日したRWA王者ロンダ・ラウジーが、子どもの頃からロディ・パイパーの大ファンで、MMA時代からのニックネーム「ラウディ (Rowdy)」を本人の許可を得て使ったというのです。
ロディ・パイパーというプロレスラーは、アメリカでそれなりに実績は残していますが、日本での実績に乏しいために、あまり印象には残っていないプロレスファンがほとんどではないでしょうか。
私もほとんど印象に残っていません
スコットランドの衣装を着た写真をプロレス雑誌で見た、ぐらいの記憶です。
ネットでは、ロディ・パイパー/ディック・スレーター vs. 阿修羅原/マイティ井上 1983
という動画が話題になりました。
現在、これは視聴不可になっています。
12分程度で、ロディ・パイパー/ディック・スレーターが勝利しています。
スティーブオルソノスキーと、テッド・デビアスを足して2で割ったような顔なんですね。
アメリカでは実績を残しても、日本では成功できなかったレスラーというのは、スタン・ハンセンやタイガージェット・シンなど日本で成功したレスラーとどこが違うんでしょう。
阿修羅原が、なんかもう少し暴れたい、こんなんじゃないんだという雰囲気ですね。
あとの3人は、そつなくしっかり仕事をしたという感じです。
しかし、これはマッチメイクとしてどうなんでしょう。
インタータッグ「挑戦者」チームと、アジアタッグ「選手権者」チームが戦って、「挑戦者」チームが勝ってしまったら、その後のアジアタッグの価値がどうなの、という気がします。
少なくとも、インタータッグとアジアタッグにはかなりの開きがあります、ということを示しているような感じがしますね。
アジアタッグの轍
日本プロレス末期に、もうレスラーが誰もいなくなって、松岡巌鉄、グレート小鹿組などという品のなさそうなコンビが取った時点で、タイトルの価値は変わってしまったのですね。
グレート小鹿は、シングルでは、ミル・マスカラスに勝ってロスから追い出すなど実績を作っているのに、日本では中堅に甘んじるだけでなく、パートナーが、松岡巌鉄とか大熊元司とか、売り出しにくいレスラーなのが気の毒なところです。
しかも、阿修羅原・マイティ井上組は国際時代、マイティ井上・阿修羅原組として最後のIWA世界タッグ選手権者でしたから、この期に及んでまた国際が踏み台にされているんですね。
日本プロレス四天王時代は、インタータッグがジャイアント馬場・アントニオ猪木、アジアタッグがアントニオ猪木・吉村道明でしたが、同格とはいわないまでも、アジアタッグ選手権をメインにすることもありましたから、決して「インタータッグでは負けたがアジアタッグでは勝った」というようなマッチメイクはなかったですね。
金村キンタローがアジアタッグを取った時は、ベルトをどっかの飲み屋に忘れてきたなどという、試合につながっていかないくだらないギミックで情けなくなりました。
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