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中島らもさんが19年前の2003年、大麻取締法違反(所持)事件で逮捕され、有罪判決(懲役10カ月執行猶予3年)を受けました。

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中島らもさんが19年前の2003年、大麻取締法違反(所持)事件で逮捕され、有罪判決(懲役10カ月執行猶予3年)を受けました。

中島らもさんが19年前の2003年、大麻取締法違反(所持)事件で逮捕され、有罪判決(懲役10カ月執行猶予3年)を受けました。かねてから大麻解放論者であり、自説をエッセイで述べたり、海外での薬物使用体験を小説化したりしていました。

「国内では吸わない」と言っていたのに……

中島らもさん(1952年4月3日~2004年7月26日)を覚えていらっしゃいますか。

作家、コピーライター、ラジオパーソナリティ、ミュージシャンなどで活躍しましたが、2004年7月15日、脳挫傷による外傷性脳内血腫が原因で意識が戻らずなくなりました。

生前はたくさんの作品を残していますが、スキャンダルとしては大麻事件があります。

当時の新聞報道から振り返ってみましょう。

中島らも被告に大麻所持で有罪判決 大阪地裁 【大阪】

自宅に大麻約6.4グラムを所持していたとして、大麻取締法違反(所持)の罪に問われた作家の中島らも(本名・中島裕之)被告(51)に対し、大阪地裁は29日、懲役10カ月執行猶予3年(求刑懲役6カ月)の有罪判決を言い渡した。西田真基裁判官は「法廷での被告の大麻取締法への否定的な態度が青少年らに与えた影響は軽視できないが、今後は法に触れる行為をせず、執筆活動を続けることで信頼回復に努めると誓っている」と量刑理由を述べた。
中島被告は公判で「執筆活動でギザギザになった精神をいやそうと思った」と起訴事実を認める一方、「大麻解放論者一としての持論を展開。「大麻はひとつの文化であり、大麻取締法は根本的にナンセンスだと思うが、それでつかまるほどばかばかしいことはない」などと述べた。(2003年5月26日『朝日新聞』大阪夕刊から)

中島らもさんが「大麻を使っている」との情報が寄せられ、厚労省近畿厚生局麻薬取締部は、2003年に入ってから内偵捜査を進めていた。

そして、2003年2月4日午後、満を持して捜査員11人が兵庫県宝塚市の中島宅を家宅捜索。

大麻とマジックマッシュルームを発見して逮捕しました。

押収したのは、大麻たばこ5本(計約2グラム/1グラムの末端価格は約1000円)、乾燥大麻約4グラム(末端価格は約3000円)、マジックマッシュルーム約3グラム、および吸引するためのパイプなど。

押収した大麻とマジックマッシュルームは計約2万円相当になるといいます。(『日刊スポーツ』2003年2月6日付)

マジックマッシュルームは、通称MMなどと呼ばれる7種の幻覚キノコの総称です。

サイロシビンやサイロシンといった麻薬成分が含まれ、食べた者は幻視・幻聴や、しびれなどを感じるといわれます。

一部の若者の間で合法ドラッグ(脱法ドラッグ)として流通していましたが、2001年4月には、俳優の伊藤英明が幻覚症状で病院に担ぎ込まれる騒動もありました。

2002年6月6日以降は、「麻薬及び向精神薬取締法」で栽培・販売・所持などが禁止されています。

「置いておいたのは私です。前日に吸った」

中島らもさんは、大麻については正直に答えました。

2個のパイプうち1個の火皿は、長期間の使用を思わせる真っ黒な焦げ跡が残っていたといいます。

当然、妻の美代子さんも知っていたのではないか、という疑問が出てきますが、美代子さんはそれについて後日、『日刊スポーツ』の取材でこう答えています。

夫が大麻を吸っていることは知っていました。一、二カ月前からです。長く患っている躁鬱病の躁状態(興奮状態)が出まして。私が無理にでもやめさせるべきでした。
いけないことだとは何回も夫に言いましたが、聞いてもらえませんでした。皆さんにご迷惑をかけて申し訳ありません。(『日刊スポーツ』2003年2月12日付)

大麻の入手経路については、「わかりません」と首をかしげ、「私が寝た後に居間で、キセルで吸ったり、たばこに詰めて吸っているようでした」と答えています。

一方、マジックマッシュルームについて、中島らもさんは「身に覚えがない」と逮捕当時から容疑を否認しました。

これについて美代子さんは、「ファンの人からいただいて、夫は5~6年前に食べていました。それから私が冷凍庫にしまっておいて。違法になってからも入れたままにしていました」と説明。

要するに、違法になる前に得たものであり、違法になってからは食べていない、ということです。

中島らもさんは、2001年10月に上梓した『とらちゃん的日常』という自著の中で、マジックマッシュルームについて触れています。

美代子さんは、おそらくこのことを指しているものと思われます。

 おれは今までにマッシュルームを二回試したことがある。一回目はオランダだった。(中略)
 二回目は千葉県に住んでいる知人が「キノコ・キット」なるものを送ってくれたので、これを栽培して試してみたのだ。キノコ・キットとはビーカーに菌糸を仕込んだものである。放っておくだけで、一週間ほどでムクムクとキノコが成長してくる。その生育したシメジっぽい容姿のキノコを、即席フカヒレスープに入れて食べた。全然効かないな、と思っていたのだが、明け方窓のブラインドをあけて驚いた。窓際に並べてある植物を通して陽の光がこぼれおちてくる、その光がとてつもなく美しかったのだ。呆然としておれはそのこぼれる光を眺めていた。(中島らも『とらちゃん的日常』文藝春秋)

大阪地検は結局、マジックマッシュルームについての立件は見送りました。

司法とは最後まで噛み合わず

中島らもさんのプロフィールは、進学校として知られる私立灘高校を中退して大検合格から大阪芸術大学放送学科に進学。

卒業後は広告代理店勤務を経て、1986年にフリーのコピーライターになります。

朝日新聞の連載『明るい悩み相談室』で人気を集めた後、エッセーや小説で活躍。

1992年には『今夜、すべてのバーで』(講談社)で吉川英治文学新人賞を、1994年には『ガダラの豚』(実業之日本社刊)で日本推理作家協会賞を受賞しました。

さらには音楽活動、劇団旗揚げなども行っていました。

ただ、もともと神経が繊細なのか、20代からそううつ病やアルコール依存症に苦しんでいました。

2002年10月に上梓された、うつ病体験を書いた『心が雨漏りする日には』(青春出版社刊)は、アルコール中毒の悪化によって、美代子夫人が口述筆記していたことも自ら明かしていました。

薬物については、かねてから大麻解放論者であり、自説をエッセイで述べたり、海外での薬物使用体験を小説化したりしていました。

それらを読むと、中島の「薬好き」は、前述のように精神的に依存する面もあるかもしれませんが、灘高校中退に見られるような、「おれは頭がよくて、かつ俗物でもない」と自負する、選民思想の裏返しでもあるように思われます。

結局、知識なんや。どれだけやればどうなる、と知っていることが大事でね。「麻薬はぜんぶ毒だ」って言う人って、あんまり知識はないね。一方で「痩せる薬だ」とか言われて、主婦がシャブに走る。毒も薬も、知識次第やな。(中島らも・いしいしんじ『その辺の問題』角川書店)

中島らもさんのこの言い分は、いささか牽強付会です。

知識だけで物事が済むのなら、世の中は「おたく」だらけになってしまうでしょう。

人間の判断は、知識と価値の統一的所産であり、そこには規範や道徳も含まれるはずです。

たとえば、中島らもさんは「国内では絶対しない」と言っていました。

いくら大麻解放論者を気取っても、少なくともこの点は弁解ができないでしょう。

中島らもさんは、3週間後の25日には保釈請求が認められ、大阪拘置所を出所しました。

このときは、大麻解放論者としての立場と「反省」との折り合いをつけるべく、ちゃかすようなコメントで気勢を上げました。

日本全国民全男全女、ことに読者の皆さま、出版社、知人、友人、妻、子供、飼っている犬、猫、ハムスター、すべての動物たち、留置所、拘置所の悪党たち…伏しておわびを申し上げます。とにかくざんきの念に堪えません。 大麻解放論者だが、法治国家の日本では吸わないと著作で公言していたのに、魔が差して大麻を吸ってしまいました。(大麻合法のオランダ) アムステルダムで吸うべきでした。自身の法に照らして、アメリカ式に罪を累積して五十六億七千万年の刑に処します。

言い終わると記者にたばこをリクエストし、「やっぱりたばこの方が大麻よりうまいわ!」と言って締めくくったといいます。(『日刊スポーツ』2003年3月18日付)

中島らもさんは躁病治療のため、その3日後の28日から大阪市内の病院に入院。

初公判は病院から駆けつけることになりました。

4月14日に行われた、大阪地裁(西田真基裁判官)の初公判。

弁護人質問で中島らもさんは、大麻使用のきっかけを「インドやオランダなど合法国で吸引した経験からのノスタルジー」と説明。

「創作に行き詰まり、ギザギザした精神を酒では癒やせなかった」と証言しました。

検察側の冒頭陳述によれば、中島が大麻を始めたのは19歳のときで、美代子の実家の土地で大麻を栽培し、数十キロ単位で収穫して友人に分けていたこと、今回は大阪市北区で密売人から30グラムを10万円で購入したことなどを述べました。(『日刊スポーツ』2003年4月14日付)

美代子婦人には、大麻使用を注意されても「見つからないからいいんだ」と耳を貸さず、長男には「おまえも吸うか?」と使用を勧めたこともあったといいます。

また、中島らもさんは起訴事実を「相違ございません」と認め、「斬鬼の念に堪えません。日の当たるところで活動し、みそぎとしたい」と再起を齧ったものの、その一方では相変わらず「日本の大麻取締法違反は、根底的にナンセンスと思っていた。速捕、拘束されて(自分の)時間が奪われるから今後は絶対に手を出さない」と持論を譲らず、弁護人に「聞かれたことに簡潔に答えてください」と注意される場面もありました。

検察側が、「今後、創作に行き詰まったときはどうする」と質問すると、「拘置所で覚えたヨガをします」などといなしたように答えるなど、終始噛み合わず、検察は「再犯の恐れが大きい」として懲役10月を求刑しました。(『日刊スポーツ』2003年4月15日付)

判決公判が行われたのは5月26日。

西田真基裁判官は、「読者に与えた影響は軽視できないが、今後は執筆活動で信頼を回復すると誓い、被告なりに反省している」として、懲役10月、執行猶予3年(求刑懲役10月)の有罪判決を言い渡しました。

西田裁判官は判決を言い渡した後、中島被告にこう語りかけました。

今後の執筆活動に期待を寄せる読者の存在を忘れないでください(『スポーツニッポン』2003年5月27日付)

中島らもさんは閉廷後、報道陣に「牢屋でやせるダイエットの本。を7月に出すつもり」と話し、7月19日にはその予告通り、『牢屋でやせるダイエット』(青春出版社)の発売記念サイン会を大阪市内で行いました。

久しぶりに公の場に姿を現した中島らもは、月一回程度の通院を続けていると言いながらも、「今後の執筆活動に期待を寄せる説者」の前にして、「みなさまにおわびしなければならない」と、両手におもちゃの手錠をはめて登場。会場をわかせたと報じられています。(『スポーツ報知』2003年7月20日付)

以上、中島らもさんが19年前の2003年、大麻取締法違反(所持)事件で逮捕され、有罪判決(懲役10カ月執行猶予3年)を受けました。でした。

とらちゃん的日常 (文春文庫) - 中島 らも
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その辺の問題 (新潮文庫) - らも, 中島, しんじ, いしい
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牢屋でやせるダイエット (青春文庫) [ 中島らも ] - 楽天ブックス
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この記事を書いた者
草野直樹(かやのなおき)

自己肯定感も、自己意思決定能力も低かったのですが、昨今流行の家系図作りをしているうち、高祖叔父と“日本のケインズ”の接点を発見。仙台藩で和喜次時代のお世話役で姻戚関係も!?。もう30年早く知りたかったなあという思いはありますが、せめてこれからは一国民、一有権者の立場から、ケインズ系経済学支持者としての発言を自分の意志で行っていきます。

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