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瀬戸内寂聴さん「不倫がいけないなんて誰が言ったんでしょうね」発言でネットは炎上してリバタリアニズムを疑われる件

瀬戸内寂聴さんが、また物議を醸しています。今度は「不倫がいけないなんて誰が言ったんでしょうね」発言です。「恋なんて降ってくるものなんですよ。そんな事言ったら一生、男も女も1人でいるしかなくなりますよ」と居直る発言でネットは炎上しています。

事の起こりは、寂庵(京都市右京区)なる自宅兼寺で、秘書の瀬尾まなほさんとの対談集『命の限り、笑って生きたい』という書籍のPR会見でのことです。

「人生での幸せは人を愛すること」

「不倫がいけないなんて誰が言ったんでしょうね」

「恋なんて降ってくるものなんですよ。そんな事言ったら一生、男も女も1人でいるしかなくなりますよ」

「これは尼さんの瀬戸内寂聴じゃなく、小説家の瀬戸内寂聴が言ってる事です」

と、語ったとのことです。

尼と作家を使い分けているようですが、同一人物としてそれは通らないでしょう。

たしかに作家は、犯罪や不倫などを、倫理観というプレッシャーに負けずに書ききる強い精神力が必要ですが、それはあくまで執筆の話であり、作家自身かそのような生き方をすべし、ということではありません。

「恋なんて降ってくるものなんですよ」としていますが、一般的な恋心と、不倫とをごっちゃにしています。

この限りでも、論理破綻はあると思いますが、この方の論理は、自由と自分勝手を混同していること。

でも、なぜか信者以外でも、この人には寛容ですね。

不思議です。

ただし、ネットでは炎上します。

【作家/僧侶】 瀬戸内寂聴さん 本音ポロリ「不倫がいけないなんて誰が言ったんでしょう 2018/11/26

主な書き込みを引用します。

>お釈迦様 あんだだって五戒くらい知ってんだろうよ
>>おいおい、寂聴くんよ 五戒のうちの不邪淫戒は新潮の記者でも知ってる基礎知識やぞ

>一夫多妻の何が悪いんでしょと言ってるおっさんと変わらないな

>旦那や子を捨てて傷つけても悪くないと言いたいんか?

>ほんとにこの色情婆を見てると 世の中如何に誠実に生きた人の負けか思い知らされるね この世はクズの勝利だよ

>不倫された側や子供の事はどうでもいいのかね?

>こういう手合いは不倫がいいことになってたら オープンすぎてつまらないとか言い出すはず

>そりゃ、男が不倫した場合は嫁さんを裏切る事になるから悪いだろ。それに子供に胸を張って言えるような行為か?それが出来ないならいけない行為なんじゃないの?

>不倫なんて満足ゆく異性関係が手に入らなかった恨みを隠して生きている不幸な人が他人の家庭に恨みをぶつけているだけか、自分のこと以外どうでもいいっていう意識があって順序だって恋愛できない子供か、欲情を愛だと勘違いさせているメディアに流されている愚か者しかせんよ。

>不倫は本人の問題とか、おまえらには迷惑かけてないから関係ないだろ他人を叩くなとかいうアホもいるけど、
>結婚ってさ、そういう縛りを互いにすることで、お互いに対する信頼感の誓いなんだよ。
>その誓いがあるから家庭というものが安定して、ひいては子供も安定しやすく、つまりは社会全体も安定しやすい。
>人間だって生き物だから、そういう誓いなしではフラフラするからね。
>もしその誓いを無視して欲だけで各自が動いてたら、行きつく社会は腐敗と混乱に満ちたものになる。
>社会は無秩序で不安定で欲望にまみれて暴力や恐怖や欺瞞が力を握る社会になる。
>無意味な自由度ってそういうことだから。


いつもは、読むに絶えないWeb掲示板のコメントですが、今回だけは、いちいちごもっともと思ってしまう私のほうが間違っているのでしょうか。

一般の人の中には勘違いもあるようですが、出家というのは誰でもできて、資格もいりません。

別に偉い人がすることではないのです。

修行と言ったって、たんなる観念の世界ですから、論文を書く必要もないし、血の滲むようなトレーニングもありません。

もっともらしい心地よいことを檀家に言ってあげれば、「仏教を学んだ人がそういってるんだからそれでいいんだ」とか思う人がでやすい。

もちろん、住職の中には、仏教系の大学に入ったり、小さいときからひれを志したりする本格的な方もおられますが、瀬戸内寂聴さんは、決してそうではありません。

さんざん自分勝手なことをして、その清算もしないまま、まさに「駆け込み寺」として宗教に逃げ込んだだけです。

瀬戸内寂聴さんが便利に使う「自分らしく」というのは、非常抽象的な言葉であり、現代社会のように、権利や責任などが詳細に問われる時代に、軽々しく使うものではなくなっています。

それを鵜呑みにする情弱な国民の一部は、瀬戸内寂聴さんに対する批判が正当であっても、「ありのままの自分を肯定」とか「他人の嫉妬や妬みを無視すればいい」という観念を、「自分はこのままでいいんだ」っていう道具にすり替えてしまうおそれがあります。

リバタリアニズムは“心の新自由主義”

瀬戸内寂聴さんの言説には、リバタリアニズム(libertarianism)があることを懸念する指摘も少なくありません。

リバタリアニズムというのは、他者の身体や正当に所有された物質的財産を侵害しない限り、各人が望む全ての行動は基本的に自由であると主張するものです。

他人に危害(被害ではない)を与えない限り、あらゆることは個人の自由として尊重されるべきとするのです。

その経済版が新自由主義といっていいでしょう。

例えを出して失礼ですが、その意味で瀬戸内寂聴さんの思考は、堀江貴文氏と軌を一にしていると見てもいいでしょう。

社会上の不整備や欠陥は、市場原理でやがて是正されるので、批判ではなく利用すれば問題ない、というのが堀江貴文氏の基本的な考え方です。

自分の欲望ありきでものを考えるので、全体への影響を考えず、全体の影響を考える人の善意や労力を搾取することになります。

そして、自分の欲望が強欲だろうが何だろうが肯定し、この世はやりたいことやったもんがちという価値観へとなりはてる。

瀬戸内寂聴氏、というより、住職に生き方の話を聞こうという人は、人生に迷い、自己肯定感が薄くなっている人です。

そういう人は、得てしてリバタリアンにひっかかりやすく、「ありのままでいいんだ」と、今度は極端に自分を肯定しだすのです。

自分にとって都合の良い情報だけを受け取り、それを正当化し、正すべき批判は無視する。

そのような、真実よりも自分の心地よい因果関係だけを見るポストトゥルースは世界中で見られる、と指摘されています。

こうして社会がどんどん個人の価値観で分断され、利己的に、強欲で歪んでいくというのです。。

自由と自分勝手。

その線引きが難しい面もあろうかと思いますが、きちんと考えなければならない時期に来ているのかもしれません。

以上、瀬戸内寂聴さん「不倫がいけないなんて誰が言ったんでしょうね」発言でネットは炎上してリバタリアニズムを疑われる件、でした。

命の限り、笑って生きたい
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