沢田亜矢子さんと松野行秀さんの離婚裁判があったのは2001年。いちいちタレントの離婚を覚えているのは、別れ方がこじれたから

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沢田亜矢子さんと松野行秀さんの離婚裁判があったのは2001年。いちいちタレントの離婚を覚えているのは、別れ方がこじれたから

沢田亜矢子さんと松野行秀さんの離婚裁判があったのは2001年。いちいちタレントの離婚を覚えているのは、別れ方がこじれたから。2人は1995年に結婚して、2001年に裁判で離婚が決まりましたが、一説には「もっとも壮絶な離婚裁判」といわれたものです。

沢田亜矢子さんと松野行秀さんが結婚したのは、1995年5月29日です。

沢田亜矢子さんは当時46歳。松野行秀さんは何と一回りも若い34歳でした。

沢田亜矢子さんにはすでに、10歳になる娘が1人いるシングルマザーでした。

結婚後は3人で暮らしていたそうですが、あるとき松野行秀さんのDVがひどいと、いきなりメディアの前で話したのです。

その内容は、「髪をつかまれて引きずり回された」「生き地獄でしかなかった」など。

DV以外には、会社の資金を横領した説が浮上していました。

ただ、沢田亜矢子さんと松野行秀さんの離婚裁判といえば、一方的に沢田亜矢子さんへの同情が集まるかと思いきや、必ずしもそうとはいえませんでした。

夫婦のことは第三者にはわかりません。

「DVの被害者」「金銭横領の被害者」である沢田亜矢子さんが、全面的な支持を得ていたわけではなかったというのは印象深いことでした。

調停は不調に終わり裁判へ


沢田亜矢子さんと松野行秀さんの離婚裁判は、一説には「もっとも壮絶」ともいわれました。

そういう場合、「か弱い」女性に同情が集まりそうですが、一方的に沢田亜矢子への同情が集まるかと思いきや、必ずしもそうとはいえませんでした。

夫婦のことは第三者にはわからない、ということもあると思いますが、「DVの被害者」である沢田亜矢子さんが全面的な支持を得ていたわけではなかったことは確かでした。

「沢田は松野さんを悪者にし、世論を味方につけて調停を有利に運ぼうと考えたが、やり過ぎて逆効果。松野さんは沢田に知恵をつけ暴力夫呼ばわりさせた弁護士を名誉棄損で告訴。今春の裁判所からの和解勧告も突っぱねた。よもや裁判までこじれることはないとたかをくくつていた沢田はとんだ計算違いにアタフタ。裁判では松野さんがとことん反撃してくるので手を焼いている」(芸能ライター・塩勢知央氏)(「日刊スポーツ」92年5月9日付)

離婚調停は、1998年5月まに4度行われたが不調に終わり、8月から東京地裁(信濃孝一裁判長)で離婚訴訟が始まりました。

しかし、裁判を待つまでもなく、2人の「口頭弁論」は芸能マスコミで派手に書き立てられました。

たとえば松野行秀側からは、会社が受取人であるはずの自動車事故の保険金を沢田亜矢子が着服した、松野行秀の解任は株主総会を開いていないので公正証書原本不実記載に当たる、などの理由で沢田を刑事告訴するという報道がされたり(『日刊ゲンダイ』1999年1月13日付)、沢田側からは、松野が事務所の資金一千万円を使い込んだ、松野は自宅に盗聴器をセットしていたといった話が出てきた。(「朝日新聞」93年7月1日付)

「本物の」離婚訴訟では、本人尋問に沢田亜矢子さん自身が出廷。

「(松野に)×××(筆者注、伏せ字にしました)された」と暴露証言を行いました。

それに対して松野行秀さんは、×××ではないという反証に沢田亜矢子さんとの行為を撮影したビデオを証拠申請することをほのめかす。

これがまた世間の注目を集め、1999年9月の口頭弁論には、“たかが離婚訴訟”に42席の傍聴券を求めて1127人の希望者が集まったのです。

大衆も好きだねえ(笑)

期待のビデオは提出されず

しかし、期待のビデオは結局提出されませんでした。

大衆、残念。

松野行秀側によれば「前回の(沢田亜矢子の)証言は、行きがかり上のことで、反証のため、証拠を提出するのは裁判の品位を汚すのでやめてほしい」という沢田側の内容証明があったから、「弁護士と相談し、申請をやめた」といいます。

松野行秀さんの言うことが事実なら、ビデオは存在するということになります。

そもそも存在しなければ、「裁判の品位を汚す」心配はいらないし、提出を妨げる内容証明も必要ないからです。

その一方で、沢田亜矢子側は暴行跡の写真を証拠提出していましたが、それに対して松野行秀さんは「覚えがありません」といなしました。

写真という客観的なものが出た以上、こちらは松野行秀側に分はないでしょう。

このへんで、この裁判、離婚裁判ではあるが「犬も食わない」どっちもどっちではないか、とマスコミも気づき始めました。

さらに松野行秀さんは、沢田亜矢子さんが適正な税務処理を妨害して脱税を指示していたという趣旨の証言を行います。

沢田亜矢子側代理人からは、裁判長に「松野氏が一方的にマスコミに情報を流している。厳正に指導してほしい」と申し入れると、松野行秀も「(沢田が)記者会見で自分が暴力や使い込みをしたと、一方的に話したことで、親兄弟に迷惑がかかっている」と涙を流すなど、いよいよ泥仕合は深まっていった。(「ZAKZAK」97年12月1日更新)

こんなやりとりを毎回繰り返した8回の口頭弁論の末、この訴訟はやっと結審します。

2000年2月22日、東京地裁の信濃裁判長は、「離婚を認める。訴訟費用は被告人が負担する 」と沢田亜矢子さんの訴えを認めました。

これだけ派手にやりあった争いについて、法廷で読み上げられたのはたった20秒。

主文だけで判決理由もない。それはそうです。

離婚自体は本人同士で決めることです。

個人的な問題を、大げさに訴訟沙汰にしたことに対する司法の苛立ちが感じられます。

しかし、そんなことはお構いなく松野行秀は控訴した。この争いはまだ続いたのです。

詳しくは、『平成の芸能裁判大全』でどうぞ。

以上、沢田亜矢子さんと松野行秀さんの離婚裁判があったのは2001年。いちいちタレントの離婚を覚えているのは、別れ方がこじれたから、でした。

平成の芸能裁判大全 - 芸能裁判研究班
平成の芸能裁判大全 – 芸能裁判研究班

この記事を書いた者
草野直樹(かやのなおき)

自己肯定感も、自己意思決定能力も低かったのですが、昨今流行の家系図作りをしているうち、高祖叔父と“日本のケインズ”の接点を発見。仙台藩で和喜次時代のお世話役で姻戚関係も!?。もう30年早く知りたかったなあという思いはありますが、せめてこれからは一国民、一有権者の立場から、ケインズ系経済学支持者としての発言を自分の意志で行っていきます。

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