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輪島大士さんの訃報が話題ですが輪島大士さんはプロレス入りして苦労したにもかかわらず当時の師匠に感謝をしています

輪島大士さんの訃報が話題ですが輪島大士さんはプロレス入りして苦労したにもかかわらず当時の師匠に感謝をしています
輪島大士さんが亡くなったことが話題になっています。輪島大士さんはプロレス界について一切悪口を言っておらず、ジャイアント馬場、ハル薗田、パット・オコーナー、ネルソン・ロイヤルなど、当時の師匠に感謝の念を込めているのは素晴らしいと思いました。

輪島は、角界入りは幕下付け出しでしたが、1年で幕内に上がり、大関昇進の4場所後には横綱になっていましたから、アスリートとしては早熟な超逸材といえます。

そして、優勝14回。

輪湖時代などともいわれました。

それが、年寄株の質入れというスキャンダルで相撲界を追われ、輪島大士の親方の娘である五月夫人は自殺未遂をし、結局輪島大士とは離婚。

ここでいったん輪島大士はすべてを失いました。

そこで、第二の人生として選んだのがプロレスです。

何と38歳で全日本プロレスに入団した(1986年)のです。

正直なところ、輪島大士入団を発表した時は、そんな年齢で入って何ができるという感じで見られていたとおもいます。

輪島大士の場合は、同誌によると輪島大士が自分からプロレス入りを望み、ジャイアント馬場がそれを承諾したといいます。

表向き支度金ゼロ、1試合10万円の報酬で、天龍源一郎にリングシューズの跡をつけられるほど蹴られても頑張ってました。

38歳で、元横綱のプライドがあるのに、打ったり蹴ったりされるプロレスラーなんかつとまらないだろう、という世間の“アンチ”な目も輪島人気につながり、全日本プロレス中継の視聴率にも当初は貢献したようです。

グレート・ザ・カブキが、「横綱は一所懸命やっていて、辛口の解説をする馬場さんは輪島人気に嫉妬したのだろう」というようなことを言っていますが、輪島大士のプロレスがイマイチだったのは事実です。

ただそれは前座で勉強する時間がなかったので仕方ない面もありました。

嫉妬というのなら、私は長州力こそ嫉妬だったと思います。

輪島大士がリングに上っていた時期と、長州力が新日本Uターンした時期が重なってますから。

長州力としては、自分の人気で全日本がゴールデンに復帰して、それをジャイアント馬場が認めたからこそPWFのベルトももらえたのに、輪島大士が入ったら視聴率をとれてNWA世界戦も組まれましたから、やはり悔しかったし焦りもあったのではないかとおもいます。

プロレスをやめたのは、全く何の予告もなく突然でした。

てっきり、プロレス界は黒歴史扱いなのかなと思いましたが、輪島大士は決してプロレス時代を悪くいいません。

師匠のジャイアント馬場が亡くなった時も、輪島のコメントはなく、話題にもなりませんでしたが、それは第三の人生であるアメフトの仕事でたまたま渡米中だったからであり、輪島大士は帰国してから、馬場宅にお線香を上げに行ったことがわかりました。

プロレス時代は決して「黒歴史」ではなかった

輪島大士はは、プロレス時代を、

「無我夢中で必死にやった2年間は、僕の人生の大切な1ページですね」(『全日本プロレス40年史』ベースボール・マガジン))

と語っています。

輪島大士は、2013年に下咽頭がんで声を失っていますが、今回の死因と下咽頭がんは関係があるのかもしれません。

先代貴乃花も喉のがんでした。

輪島大士は、50歳すぎてから子宝に恵まれています。

こちらは大器晩成だったんですね。

輪島大士さんの生前のご遺徳をお偲び申し上げます。

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