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『黒い花びら』は村松友視が同名のヒット曲で第1回日本レコード大賞に輝いた水原弘の生き様を存分に綴った力作です

『黒い花びら』は村松友視が同名のヒット曲で第1回日本レコード大賞に輝いた水原弘の生き様を存分に綴った力作です

『黒い花びら』。水原弘の代表作となる初めてのリリースであり、第1回日本レコード大賞を受賞した歌謡史上に残る歌のタイトルです。村松友視氏が著した同名の書籍(河出書房新社)には、ジャズ喫茶で“デビュー”してから、42歳で生涯を終えるまでの水原弘が、資料や関係者への取材をもとにまとめられています。

アース製薬のホーロー看板で今も有名

水原弘。おそらく若い人にはわからない名前でしょう。

田舎には、いまだに40年以上前のアース製薬のホーロー看板があるらしいですが(由美かおるも若い)。

過日、STAP細胞の件で亡くなった笹井芳樹氏を見た時に、なぜか水原弘を一瞬思い出してしまったんですね。

生き方に接点があるとか、そういう文学的な次元ではありません。キャラクターも違いますけどね。

たんに髪型とか、顔がちょっとふっくらしたところとか、そういうところです。

まあ何にせよ、今回は新刊ではありませんが村松友視氏の書籍を読んでみます。


私も実は、最大のヒット曲『黒い花びら』(1959年)の頃は知りません。そもそも生まれていなかったですし。

『君こそわが命』(1967年)は歌っているところは見た記憶あります。リアルで「ヒット曲を歌う歌手」として見たのは、『へんな女』(1970年)の頃だったんじゃないかと思います。要するにかなり晩年です。

水原弘が、勝新太郎と知り合って「スター気質」を影響されてから、付き合いもない人の勘定まで面倒見て一晩に大金を使う飲み方をするようになった。

その豪遊の文字通りツケで、体を壊したのと借金返済のための激務とで早逝した、と当時の芸能ニュースで報じられ、はじめて「そういう人だったのか」ということを知りました。

お金の使いかたや飲み方は、

「ああ、いかにも昔の芸能人的な生き方だな」って思われるかもしれませんね。

当時は、石原裕次郎と似ているというような取り上げられ方をしていて、私も子供の頃はそう思っていて、まあ実際には体型が違うし、キャラクター的にも“似て非なる”2人ですが、水原弘のほうがかなり意識して石原裕次郎の仕草や振る舞いを真似ていたようですね。

同書は、水原弘がジャズ喫茶から独特の風貌・歌唱力によって『黒い花びら』で衝撃的な登場。その後は“一発屋”として消えかかり、いったんは『君こそわが命』でカムバックしたものの、結局「スター気質」で破滅するまでを、村松友視氏の視点から描いています。

私はなにぶんにも『黒い花びら』の頃を知らないのですが、村松友視氏の視点で、なぜ水原弘の歌が爆発的にヒットしたのかがわかります。

村松友視氏の大まかなスタンスは、今までの流行歌手とは違う存在としてブレイクしたのに、その路線ではなく、類型的なスターを志向するようになったことが間違いではなかったかと残念がりながらも、でもやはりそういう生き方しかできなかったのかもしれない、という理解も示しています。

俳優としてコンプレックスを抱えていても三味線がある勝新太郎に比べ、ヒット曲を出し続けなければ存在価値がない「流行歌手」の水原弘の方が、余裕がなかったと村松友視氏は見ているのです。

スターになったらなったで悩みはつきないものなのですね。

「昔の歌手の話」にとどまらず人間の生き方を考えさせられる

私自身は、自分を大きく見せたいとか、沢山の人の羨望に囲まれたいとか、他人に嫉妬するといった、見栄や虚栄心やコンプレックスやジェラシーをもつことを、人間として「野卑で低級なもの」と思う気持ちが以前からがありました。そして、今もあります。

しかも、3年前に火災を経験して無一文になってしまったため、そもそもそのような意識を持つこと自体こっけいな立場(要するに他者と比較して彼我を語るのもおこがましいド底辺の人間)になってしまいました。

ですから、好き嫌い、良し悪しの問題以前のこととして、哲学や人生観として、水原弘の「スター気質」による破滅的な生き様はどんなことがあっても私には絶対に「あり得ない」生き方です。

しかし……

そんな私ですが、同書を読んでも、水原弘の生き方を否定することができませんでした。

むしろ、水原弘が生きているうちに、もっとこの人に興味を持っておけばよかった、自分がもっと早く生まれていたら、何らかの形でこの人と関わりを持ってみたかった、とさえ思っているくらいです。

なぜか。

私が同書で感銘を受けたのはこの件です。

水原弘は、自分のステージの上における“無頼”のイメージに、ステージを降りた後も責任をとった芸人だった……(中略)さまざまな歌手や役者がいるが、ステージやスクリーンでは恰好よく“無頼”のイメージをただよわせながら、そのフィクションの衣を脱げばほとんどサラリーマン感覚、世間的な気遣いをめぐらして蓄財に励んでいるタイプがほとんどだろう。水原弘は、それに反発して、ステージ上での気取った“無頼”を、日常の中でも演じて見せつづけた。

この件が切なくて切なくて、もう何度読みなおしたかしれません。

振る舞いが、自分の価値観を超えたところにあっても、「命までかけて(無頼として)愚直に生きる」という人間としての本質的な部分に私は惹かれてしまったのです。

村松友視氏は、水原弘とは契約書なしの友情で付き合った長良じゅん氏を「匂いの関係」と表現しています。私もその「匂い」に惹かれたのかもしれません。

水原弘の生き様をコバカにしたり哀れんだりする“良識ある”大衆の、勇ましいたてまえとあさましい本音を使い分ける自己保身やうさんくささに比べれば、最後は自分の命で責任を取った「破滅」に貫かれた水原弘の生き方に、責めるべきところなどあろうはずがありません。

古き良き時代の芸能人の豪快な生き方、というステレオタイプの見方ではなく、現代人を含めた人間の普遍的な生き方の問題として考えるといっそう興味深い書籍だと思います。

黒い花びら (河出文庫) - 村松友視
黒い花びら (河出文庫) – 村松友視

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