醜聞スキャンダル(1950年、松竹)は声楽家との嘘の熱愛記事を書かれた画家が裁判に訴え勝訴する過剰ジャーナリズム問題を描いた作品です。東宝争議のために他社で映画を撮ることになった黒澤明監督が初めて撮った松竹映画です。
『醜聞スキャンダル』とはこんな映画だ』
醜聞スキャンダル(1950年、松竹)は、映画芸術協会を設立して、東宝以外で映画を撮ることになった黒澤明の、松竹初作品です。
画家が声楽家との嘘の熱愛記事を書かれたことで裁判に訴え、勝訴する話です。
「言論の自由」を錦の御旗に、無責任な報道を行うマスコミを批判する社会派ドラマ、という評価が一般的にはされているようです。
『静かなる決闘』の翌年に公開され、ここでも三船敏郎は、なんともかっこ良すぎるヒーローを演じています。
画家の青江一郎(三船敏郎)が雲取山の絵を描いているところに、人気声楽家・西条美也子(山口淑子)が偶然通りかかり、道を尋ねます。
山口淑子は、温泉宿までのバスが3時間待たないと来ないと聞き、歩いて行こうと思ったのですが、5キロはゆうにあると言われてしまいます。
三船敏郎はちょうど自分もそこへ行くからと、バイクの後ろに乗せて山口淑子を連れて行くことにしました。
三船敏郎のバイクがバスを追い越したとき、そのバスに乗っていたのは雑誌社『アムール』のカメラマンでした。
マスコミ嫌いの山口淑子の写真を撮るように言われていたカメラマンたちは、宿まで押しかけます。
宿についた三船敏郎が山口淑子の部屋をたずね、談笑していると、窓の外で様子をうかがっていたカメラマンに2人の写真を撮られてしまいます。
そして、雑誌『アムール』は、その写真をもとにでっちあげの熱愛記事を掲載します。
三船敏郎は記事の取り消しを求めますが、アムール側では記事はあくまでも真実だと主張。
三船敏郎はアムール社を告訴することにします。
それを知った弁護士・蛭田乙吉(志村喬)は、弁護をさせてくれと三船敏郎に自分を売り込みに来ます。
突然の訪問だったので、志村喬がどんな人物なのかわからないため確かめようと、三船敏郎が志村喬の自宅を訪ねると、そこには結核で寝たきりの娘・正子(桂木洋子)がいました。
無垢で純粋な桂木洋子の姿に感じ入った三船敏郎は、志村喬に弁護を依頼します。
ところが、貧乏なうえに酒と賭け事に目がない志村喬は、あっさりとアムール社の社長兼編集長・堀(小沢栄太郎)に買収されてしまうのでした。
志村喬はそんな自分を恥じて、桂木洋子の枕元で「父さんは蛆虫だ」と泣き崩れます。
被告に買収された志村喬に、原告の弁護ができるはずもなく、裁判は三船敏郎の敗訴で終わりそうになります。
一方、桂木洋子は自分を何かと気遣い、親切にしてくれる三船敏郎の勝訴を願いながら、死の床につきます。
結審の日、志村喬は小沢栄太郎から10万円の小切手を渡されたことを自ら証言。
自分と被告の不正を法廷で訴え、裁判は三船敏郎の勝訴に終わります。
社会派というよりヒューマンドラマ
三船敏郎は颯爽とバイクに乗り、正義感あふれるロマンチストでもあります。
告訴をためらう山口淑子に
「僕は自分の気持ちをごまかして、自分ばかりでなく世の中全体をいい加減なものにするのは嫌だ」と言い、
良心の呵責に耐えられず、買収されたことを最後に告白する志村喬を
「僕たちは今、お星様が生まれるところを見た」
と表現します。
どういうことかというと、星が生まれるところを見た感激に比べたら
「勝利の感激なんてけち臭くて問題にならん」
ということなのです。
かっこ良すぎて、人間としては面白味がないですね。
三船敏郎と対照的なのが志村喬です。
自分から弁護を買って出ておきながら、被告に買収され、酔って娘に土産をどっさり買ってくる。
内心ではそんな自分を恥じていて、娘のためにもこれではいけないと思っているが、弱さから三船敏郎には真実を言い出せない。
この志村喬の心の揺れ、娘の死に押されるように自らの不正を明らかにするまでの葛藤が、この映画の見どころでしょう。
そういう意味で、この映画は社会派ドラマというよりは、ヒューマンドラマではないのかなと思いました。
三船敏郎のかっこ良すぎる清潔さも、志村喬の弱さを浮き彫りにせんがための光と影ではなかったかと思います。
黒澤明監督で三船敏郎主演の大映映画『静かなる決闘』(1949年)では、軍医の三船敏郎が治療中に軍人の中田(植村謙二郎)の梅毒に感染してしまうのですが、婚約者とも別れてじっと我慢する三船敏郎演じる聖人君子ぶりと、奥さんや胎児にまで梅毒を感染させてしまう中田(植村謙二郎)の身勝手さとが、対極に描かれていました。
それにしても興味深かったのは、でっちあげの記事を掲載していいのか、と心配する社員への小沢榮太郎の返答です。
「記事なんか少しくらいデタラメでも、活字になりさえすりゃ世間が信用するよ」
「(抗議されたら)誰も読まないようなところに謝罪広告を出せばそれで済む」
「(告訴されたら)いい宣伝だ。あと一万部増刷するね」
そして告訴されると
「僕はあくまでも言論の自由のために闘う」
とコメント。
ありがちな話ですね。
どうせマスコミ人はこんなふうに考えて雑誌を作っているんだろう、という黒澤明の批判的な考えを反映したやりとりかなと思いました。
醜聞スキャンダル、お勧めします。
以上、醜聞スキャンダル(1950年、松竹)は声楽家との嘘の熱愛記事を書かれた画家が裁判に訴え勝訴する過剰ジャーナリズム問題を描いた作品、でした。
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