KEIKOがavexマネージメントの公式サイトに小室哲哉との調停離婚成立を発表。ネット民の無責任さを改めて振り返ります。KEIKOと小室哲哉の不倫⇒週刊誌報道⇒回復をめぐって、無原則な叩きの書き込みがネットに続きました。他人を叩きたがる人は、まずは自分の人生と向き合ったらいかがですか。
KEIKO離婚をめぐる経緯
KEIKO離婚とのことですが、私はその事実については、そこに至るまで、ネット民大衆が報道に対していかに無責任な態度をとってきたかを思い出します。
【芸能】KEIKO 美文字の直筆文で離婚報告…11年にくも膜下出血発症も「大きな後遺症もなく」と [ひかり★]
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簡単に述べると、無原則に叩いてきた低級な反応です。
小室哲哉の不倫を、2019年1月に『週刊文春』が取り上げたところ、小室哲哉はKEIKO夫人の高次脳機能障害による介護を言い訳に使い、芸能界からの電撃引退を表明。
すると単純なネット民は、それまでさんざん、文春砲などとスキャンダル記事を楽しんでいたくせに、手のひらを返して『週刊文春』を叩きました。
それまでの記事について、ネットでは、記事に書かれた不倫当事者を叩いていたわけですが、実は夫人は高次脳機能障害があり、別の女性に心がいってしまったという言い訳を受けて、そして「引退」に引っかかって、大衆は小室哲哉に同情。
今度は『週刊文春』を叩き始めました。
私は、またしても日本人の民度を見せつけられた思いで、嫌な気分になりました。
だって、そんなことに同情したら、障碍のある配偶者なら不倫しても良いのか、という理屈が成り立ちますよね。
「引退」するかどうかは本人の問題で、辞めて筋が通るなら苦労はないだろうと思います。
いずれにしても、小室哲哉は、自分の不倫に、夫人のくも膜下出血とそれにともなう高次脳機能障害を利用した卑怯な人間なのです。
そもそも高次脳障害といいますが、KEIKOが軽度であることは、息子が高次脳障碍である私には、すぐにわかりました。
高次脳機能障害自体を、軽度だから大したことないと言っているのではありませんよ。
可視化できるレベルの症状では、配偶者が自暴自棄になって不倫する、という口実に使えるほどの支障は実感できないということです。
私の息子は、当初高次脳機能障害どころか、遷延性意識障害と診断された重度でしたが、私は不倫などしませんでしたよ。
もし、間違ってしたとしても、息子のせいにはしなかったと思います。
だって、それじゃあ、息子があまりにも可愛そうでしょう。
小室哲哉には、そういう情がなかったわけです。
とにかく、大衆は、よく考えもせず「障碍」と「引退」にあっさり同情して、今まで世話になってきた週刊誌の方を叩いたわけです。
それまで、不倫を含めた文春のスクープを喜び、記事の主人公を叩いていたくせに、小室哲哉のときだけ今度は『週刊文春』をマスゴミと悪者にするのは道理がないでしょう。
つまり、大衆は不倫はけしからんという筋の通った「叩き」をしているわけではなかったということです。
半年後の昨年7月、文春は続報として、KEIKOの親族が「彼は介護らしいことは何もしてない」などと告発したインタビュー記事を掲載。
「ほうれみろ、ネット民よ、反省しろ」と私は思いましたが、さらにその半年後、KEIKOが私の予想通り回復します。
自身のツイッターを更新し、2019年24日には《ジム行って来ました~》《疲れたぁ》と数年ぶりに日常の様子を公開しました。
では、ネット民大衆はどうしたか。
見当違いの「叩き」の自己批判ではなく、今度は元気になったKEIKOを叩き始めたではありませんかーっ!
【芸能】“病中不倫”で哀れなKEIKOに「同情できない」と非難の理由
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Web掲示板で、いい気になって叩いている書き込みを見て、どこまで無責任なんだ、いいかげにしろよ、と私は腹が立ちました。
自分はいつも何も悪くない。何の責任も取らない感情的な書き込みに消耗する人生。哀れです。
他人を叩きたがる人、まずは自分の人生と向き合おう
『「ベッキー結婚」でさえ酷評する人の深い闇 安易な「手のひら返し」や「厳罰続行」は禁物』という木村隆志さんのコラムをご紹介します。
人を無原則に叩く、昨今のネット言論について分析しています。
■今人気の記事■ 【「ベッキー結婚」でさえ酷評する人の深い闇】 安易な「手のひら返し」や「厳罰続行」は禁物 : https://t.co/JRUMH1OoK3 #東洋経済オンライン
— 東洋経済オンライン (@Toyokeizai) February 15, 2019
ベッキーの結婚報道に対して、3年間にわたって悪しざまに批判してきたのに、今回は「手のひら返し」祝福する。
もしくは「厳罰続行」の厳しい論調を続ける。
いずれにしても、そこには「無責任だから」「ストレス発散のために」「想像力に欠けるから」といった刹那的なものではなく、誰にでも当てはまる落とし穴が潜んでいると指摘しています。
記事によると、「自分より他人と向き合う思考と習慣」が、無原則に叩く感情的なふるまいをするようになっているのではないかと指摘しています。
恐ろしいのは、「自分の人生と向き合うよりも、他人の人生をのぞき見する」機会のほうが圧倒的に多く、それが日ごろの思考回路や生活習慣になっていること。
ネットニュースでは有名人、SNSでは友人・知人の情報にふれることで、自分のことはおのずと後回しに……。 批判だけでなく、称賛や応援などのポジティブなものも含め、どのコメントも「自分の心から湧き出た思い」ではなく、条件反射のような直感的な感情が多くなっていくのです。
さらに恐ろしいのは、その思考回路と生活習慣は、誰かと共有することで強固なものとなりますます自分の人生から遠ざかってしまう。
ネットの炎上がそうですね。
「誰のために、何のために批判しているのか?」「本当にストレスを発散できているのか?」すら自分でわからなくなるほど感情がマヒすると指摘しています。
要するに、自分の人生と真剣に向き合っていたら、もっと深みのある批評や論考になるだろう、と言っているのです。
無原則で見当外れな感情的叩きは、真剣に生きていない証だということです。
私もそのとおりだと思ったので、引用しました。
ネットで「激辛評論家」を気取って、記事やメディアを叩きまくっている人。
どう考えますか。
以上、KEIKOがavexマネージメントの公式サイトに小室哲哉との調停離婚成立を発表。ネット民の無責任さを改めて振り返ります、でした。
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