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発達障害の偏見がないことを強調する意味で、もうひとつは善意の誤解から“発達障害児は特別な能力をもっている”という見方

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発達障害の偏見がないことを強調する意味で、もうひとつは善意の誤解から“発達障害児は特別な能力をもっている”という見方

発達障害の偏見がないことを強調する意味で、もうひとつは善意の誤解から“発達障害児は特別な能力をもっている”という見方がある。しかし、スケプティクス(懐疑的)な立場から述べると、それはいささか問題がある「美化」なのだ。

発達障害とは、発達過程において、言語・社会性・行動などの面で、一般的な発達よりも著しく遅れや逸脱を示す状態を指す。

このような状態にある子どもたちには、一般的な子どもたちと比較して、学習や社交面で困難を抱えることが多いとされている。

しかし、一方で、発達障害児には、非常に特殊で優れた能力を持っている場合がある。

例えば、自閉症スペクトラム障害(ASD)の人々は、非常に優れた記憶力や、固定観念的な思考による問題解決能力を持っていることが知られている。

また、注意欠陥・多動性障害(ADHD)の人々は、ハイパフォーマンスやクリエイティブな思考を発揮することがあるとされている。

これらの特別な能力は、一般的な発達の過程で身につく能力とは異なるが、発達障害児にとっては、生きやすさを得る上で重要な能力となることがある。

いわゆるギフテッドと呼ばれるものだ。

ただし、「優れた能力」といっても、世間一般でいわれる秀才や天才と同意味かというと、そうとはいえない。

たとえば、「勉強ができる」としても、コンスタントに優秀ではなく、科目によって得手不得手がはっきりした「まだらな秀才」であることが少なくない。

一部に誤解があるが、少なくとも、発達障害=天才という単純なものではないのだ。

いずれにしても、一般的な能力には劣る部分がある一方で、特定の分野で優れた能力を持っていることから、個性を尊重し、それを伸ばす支援が必要とされている。

たとえば、この漫画にも、詳しいことが描かれている。


といったことを踏まえた上で、以下をご覧いただけると幸甚である。

発達障害は天才とする考え方

最近、発達障害の少年(15)が、優れた味覚を生かしたコーヒー豆焙煎の店を開業したとのニュースが話題になった。



「上毛新聞ニュース」より

障碍者が、誇りを持って自分の人生を切り開くことは立派なことであり、それ自体、いささかの問題点も存在しない。

しかし、そのニュースをもとに、「やっぱり発達障害者は天才・秀才なのだ」、という幻想のような誤解がまたぞろ跋扈すると、多くの発達障害者やその親御さんは心配している。

いわゆるギフテッドといわれる偏見の一種である。

発達障害というのは、何らかの原因によって脳に障害を発生し、成長していく過程で発達する言語や運動、社会性などに支障をきたすことをいう。

したがって、発達障害だから「天才・秀才」という根拠はどこにもないのだが、実際には、学歴やある種の職人仕事で、発達障害者が目立つ、といわれる。

発達障害=ギフテッドではない

たとえば、芸能人、野球選手、科学者などでは、発達障害を自らカミングアウトした者、もしくは振る舞いの事実からそうではなかろうかと思われている者などが、メディアで取り沙汰されることがある。

東京大学の学生の半分は、アスペルガー症候群だ、などという説もまことしやかに語られる。

もちろん、半分などという具体的な数字が明らかになった統計は存在しないが、発達障害者が、“試験アタマ”や“職人仕事”で結果を出すことは、まったく考えもつかない無根拠なこととも言えない。

発達障害児に見られる特性の1つは、物事へのこだわりである。

同じことをしないと気がすまない。

覚えるべきことはきちんと覚えていないと気が済まない。

この、反復性と潔癖性が、暗記やルーチンワークに磨きをかけ、好成績を残すことは十分にありえる。

冒頭のコーヒー焙煎の少年も、絶対的な味覚を持つ天才であるかどうかは分からないが、少なくともそうした“こだわり”によって、コーヒーに対して“違いの分かる男”になったのではないか、という推理は十分に成り立つ。

ただ、問題はその先である。

それなら、そのこだわりで、発達障害児はみんな自分の生き方を見つければいいじゃないか、そうしないやつは努力が足りない、と思われると、発達障害児の保護者は困惑するのだ。

なぜなら、努力自体が天賦の才であり、発達障害児のすべてが、結果を出す方向でルーチンワークを繰り返す努力ができるわけではない。

そもそも発達障害というのは様々な障害の総称であり、たとえば会話も困難な重度知的障害者には、通用しない話なのである。

そこで、この記事である。

活躍しているのはほとんどが軽度

『日刊ゲンダイ』(2016年11月1日付)では、不始末を起こした高畑裕太を俎上に、親として療育しなかった高畑淳子を批判するとともに、でも発達障害だって特性を活かせば自分の生きる道がある、という記事を書いている。


記事中の、自分の生きる道を獲得した発達障害者として、黒柳徹子、栗原類、勝間和代が例にあげられている。

『日刊ゲンダイ』(2016年11月1日付)より

『日刊ゲンダイ』(2016年11月1日付)より

もちろん、それは素晴らしいことで、かつ望ましいことではあるのだが、はっきりいってその人たちは軽度だ。

まるで、栗原類が発達障害者の代表のような捉え方をメディアにされると、中度・重度の発達障害者は、はっきりいって困る。

彼らの「成功談」は、軽度ならそのような道もある、というだけの話で、発達障害者全員を救う話では断じてない。

それを誤解してほしくないのである。

以上、発達障害の偏見がないことを強調する意味で、もうひとつは善意の誤解から“発達障害児は特別な能力をもっている”という見方、でした。

植物人間が歩いた!話した!ごはんも食べた!遷延性意識障害からの生還-リハビリと学習の記録1: ~遷延性意識障害から転学まで~ (市井のeブックレット) - みお なおみ
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この記事を書いた者
草野直樹(かやのなおき)

自己肯定感も、自己意思決定能力も低かったのですが、昨今流行の家系図作りをしているうち、高祖叔父と“日本のケインズ”の接点を発見。仙台藩で和喜次時代のお世話役で姻戚関係も!?。もう30年早く知りたかったなあという思いはありますが、せめてこれからは一国民、一有権者の立場から、ケインズ系経済学支持者としての発言を自分の意志で行っていきます。

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