ら抜き言葉がネットではしばしば議論になります。1995年に国語審議会が、改まった場所での「ら抜き言葉」使用を認めない中間報告を行い、我が国では規範的な立場からは誤用とされています。しかし、変化はと受容されるとしてそれを認めない意見もあります。
「ら抜き」言葉はまだ排除されるべき乱れ
ら抜き言葉は、いくつかある「日本語の乱れ」の議論の中でも、もっとも白熱するテーマです。
大前提は、冒頭に書いたように、1995年に国語審議会が、改まった場所での「ら抜き言葉」使用を認めない中間報告を行い、我が国では規範的な立場からは誤用とされています。
国語審議会として、「ら抜き言葉」についてこれ以降、新しい見解はありません。
たとえば、TV番組では、出演者の話をテロップで文字起こししますが、出演者が「食べれる」と言っても、テレビの画面には「食べられる」と表示されます。
それは、国語審議会の報告を受けて、放送機関として「規範的な立場」を尊重しているからです。
しかし、文化庁の2015年度国語に関する世論調査では、「ら抜き言葉」のうち「見れる」「出れる」という表現を普段使う人の割合が、「見られる」「出られる」を使う人をわずかに上回った結果も出ています。
そうした結果から、言葉は変化し受容されていくものである。
だから「ら抜き言葉」はもはや問題にならないという意見もあります。
それは少し早すぎる結論と私は思いますけどね。
ネットでも、賛否両論いろいろ出ています。
>言葉って変化するものだしなあ ら抜き言葉に見鯨たてることないと思う
>進化してるだけで何の問題もない 言葉はツールだから意味が伝わればそれでいい
>この変化を退化と見るか文化と見るかであなたのおっさん度がわかります
>平安時代の人から見れば今の日本語はとても乱れている でも、乱れているからといって平安時代の言葉に戻す意味があると思うかい?
>ら抜き言葉を平気で使う奴の書く文章、読んでると頭が痛くなってくる
>馬鹿が多数派に
>役所関係の文書とかそういうので ら抜きなんか見たことないんだけど?
>あくまでもカジュアルな「口語」の話だろ 書き言葉でのら抜きはまだ許容されうる日本語の変化や進化じゃない、排除されるべき乱れだ
結局どう考えるか
要するに整理すると、「ら抜き言葉」は、オフィシャルには「誤用」だが、ただし「変化と受容」の実態は存在するということではないでしょうか。
もともと、文法は法律で定められているわけではありませんから、それが日常的に使われることを絶対禁忌とはしませんが、かといって規範的ではないことを指摘しているのに、「目くじら立てるな」などとそれこそ目くじら立てて逆ギレするものでもないということです。
たとえば、入学試験や、就職試験の作文で、「ら抜き言葉」を使ったことで、「規範的には誤用だから」という基準で減点されたとしても、それは試験官の裁量として、間違いとは言えません。
まあ、日常会話と、そうしたオフィシャル用を器用に使い分けるなら問題なしですが、なかなかそれもむずかしいので、少なくとも学校で、教員が「ら抜き言葉」を使うことは控えていただきたいと私はおもいます。
以上、ら抜き言葉がネットではしばしば議論になりますが「規範的な立場からは誤用」であるものの「変化と受容」の実態はある件、でした。
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