サマージャンボ宝くじ。払い戻し率は46%程度(みずほ宝くじトピックス)という事実を受け入れられない「科学的な人」がいた。

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サマージャンボ宝くじ。払い戻し率は46%程度(みずほ宝くじトピックス)という事実を受け入れられない「科学的な人」がいた。

サマージャンボ宝くじ。払い戻し率は46%程度(みずほ宝くじトピックス)という事実を受け入れられない「科学的な人」がいた。あろうことか、ジャパンスケプティクスの会員である。歴然たる事実すら受け入れない会が「オカルトに騙されるな」って?

サマージャンボ宝くじが、今年も発売された。

1等が2億円(39本)というが、こんなのに当たっちゃったら逆に交通事故に当たる確率まで心配してしまうだろうかもしれない。

でも、それほど深刻に心配することはない。という冷静にしてスケプティクスな話である。

全体として買った者は金を吸い取られる仕組み

最初に数字を述べると、サマージャンボ宝くじ、毎年20万円ずつ宝くじを100年間買っても、10人にひとりしかあたらないものだ。

しかも、宝くじの売り上げは、全てが賞金に還元されるわけではない。

手数料や宣伝費、地方自治体への配分などがあるからだ。

払い戻し率は46%程度(みずほ宝くじトピックス)とされる。この数字自体は競馬や競輪よりも低い。

ひとかけらの人に大きな当たりがでて射幸心を煽るが、全体としての数字や確率を見れば、全体として買った者は金を吸い取られる仕組みなのだ。

この話は、安斎育郎氏から2度ほど聞いた話である。

安斎育郎ジャパンスケプティクス会長時代、総会やシンポジウムなどが終わると懇親会になるが、安斎育郎氏がそこでそのような話をしたことがあるのだ。

宝くじの話、数字をもとにしたあったりまえの話である。

ところが、これにくってかかった会員がいた。

筆者は直接言葉をかわしたことはないが、安斎育郎氏と大学の奇術同好会で一緒だったと毎回自己紹介していた、総務省勤務と称する会員だった。

東大→国家公務員だから、松田卓也氏が同会の機関誌でいうところの「良識ある会員」なのだろう。

宝くじは、総務省管轄のギャンブルである。

だから、総務省ではたらき、たつきのみちを得ているその会員は、宝くじのネガティブな見方を否定したいという職業意識がはたらいたのだろう。

けだし、「良識ある会員」ではないか。

大学のサークルつながりの友だろうが、それだけは許せん、と判断したのだろうか。

だが、その会員のおかげでその場は白けてしまい、以後、瑣末な揉め事を好まない安斎育郎氏はこのての話を一切しなくなってしまった。

それは、その後の会の活動としても残念なことであったと思った。

自分に関わることは、とたんに「例外」

ギャンブルの払い戻しの確率というのは、「生活の中の理性」にとって必要なテーマだからである。

宝くじや競馬に熱中する人の価値観を否定するつもりはないし、それが何であるかは興味があるし尊重もしたい。

「科学」だけで「価値」を押さえつけるべきではないと筆者は考えるからだ。

しかし、客観的な認識と個人の価値観はきちんと区別すべきである。

安斎育郎氏の客観的な話に、価値の話で襲いかかったその会員はやはりおかしい。

なぜ、今それを蒸し返しているかというと、残念ながらこのエピソードは、疑似科学批判者としてあながち例外とはいえないと思うからだ。

「科学的・批判的」な態度が、自分には関係のない事象についてはそれなりに見られるのだが、自分に関わることは、とたんに「例外」になってしまうのだ。

立場上どうしても都合が悪ければ黙っていればいいものを、黒のものを白とまで言っているようなその反論は、会のあり方自体を疑われてしまう。

人は、なぜ疑似科学に騙されるのか。

一部物理学者たちは、自分たちを高く売り出すために、科学知識(のないこと)だけを問題にしてきた。

人はどうして疑似科学に騙されるのか。科学に無知だとしか言えない物理学者は葦の髄から天井を覗くという言葉を贈ろう。
人はどうして疑似科学に騙されるのか。科学に無知だとしか言えない物理学者は葦の髄から天井を覗(よしのずいからてんじょうをのぞく)くという言葉を贈ろう。髄というのは葦の茎の管の中のことをいう。つまり、狭い見識で判断してしまうことを戒めているわけだ。

しかし、それだけでは、何度も書くが、旧オウムの理系の高学歴者たちに対する説明が付かない。

筆者の持論はこうだ。

人間の理性は、「知識」と「価値」の両輪で成り立っている。

だから、「知識」だけをどうにかしても本当の解決にはならないと思う。

知識以外に、騙されないためのマインドが必要ではないのか。

たとえば、肩書きや知名度だけで「良識」だの何だのというレーティングをしないことだ。

安斎育郎氏が禁忌とする「欲得と思いこみ」は、そういう権威主義や幇間根性からうまれる。

そして、周囲が何と言おうが、白を白と言える素直さやある種のKYさも必要だと思う。

自分の職場に関することは、黒でも白、という発想はたいへん会社孝行だが、そのような社畜根性も騙される温床ではないだろうか。

自分は可愛いから、自分の立場や行動を否定したくないのかもしれないが、人間は間違いうる、ということを忘れてはならないと筆者は考える。

KYさやこだわりはスケプティクスのセンスとして必要

現在、政治の方は「政権交代」が話題になっているが、以前、やはり民主党が選挙で有利ではないかといわれた時、時流に乗りたがるタレント文化人たちは、民主党プッシュに熱中した。

だが、のちにジャパンスケプティクスの役員になった紀藤正樹氏は、その「流行」に合わせず、「二大政党」と無関係な生き残りも難しいような政党の某議員とサイトをリンクすると発表していた。

その議員が石井こうき殺害事件に熱心だからという理由だった。

「二大政党間の政権交代」がすべてであるかのようなキャンペーンをマスコミが行い、タレント文化人達がそれに乗り遅れまいと同調している時、何てKYなことをやっていると人は思っただろう。

しかし、時流に流されない、トレンドにダイレクトに乗らない、こういうKYさやこだわりはスケプティクスのセンスとして必要だと筆者は考えるのだ。

以上、サマージャンボ宝くじ。払い戻し率は46%程度(みずほ宝くじトピックス)という事実を受け入れられない「科学的な人」がいた。でした。

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