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障害者を取り巻くデリケートな考え方、誤解についてご紹介しよう。近年は理解と支援ができつつも、問題がないわけではない。

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障害者を取り巻くデリケートな考え方、誤解についてご紹介しよう。近年は理解と支援ができつつも、問題がないわけではない。

障害者を取り巻くデリケートな考え方、誤解についてご紹介しよう。近年は理解と支援ができつつも、問題がないわけではない。それらを解決するには、障害者やその親がどんなことについてどう考えているのかを知る必要がある。

以下は、一般的に障害者に対する誤解や偏見とされるものを枚挙してみた。

  • 障害者は無能な人々であると思われることがある。
  • 障害者は不幸な人々であると見なされることがある。
  • 障害者は病気や病気の結果であると誤解されることがある。
  • 障害者は常に支援が必要な人々であると思われることがある。
  • 障害者は、他の人々よりも危険な人々であると考えられることがある。
  • 障害者は、社会的に孤立していると見られることがある。
  • 障害者は、その障害がすべての側面に影響を与えると誤解されることがある。
  • 障害者は、身体的障害を持っていない人々よりも、心理的に弱いと見なされることがある。
  • 障害者は、社会から排除されたり、差別されたりすることがある。
  • 障害者は、自己決定や自己実現に関して限界があると見なされることがある。

これらの偏見や誤解は、障害者自身が直面するだけでなく、彼らの家族や友人、支援者、そして社会全体にも影響を与える可能性がある。

障害者は、彼ら自身の力と能力を信じ、尊重され、公平に扱われることを望んでいる。

ただ、今回以下に挙げておきたいのは、それとは違う誤解である。

障害者と健常者では、立場が違うため、見方が異なる場合がある。

これは誰でも想像がつく。

しかし、障害者全体が同じ意見かというと、決してそうではない。

その点も踏まえて、以下のことを考えて欲しい。

いつものようにスケプティクス(懐疑的)な視点をもってその点、考えてみよう。

障碍者の「ギフテッド」問題

障害者は、健常者に比べて一部の機能を失っているかわりに、別の機能が健常者以上に働くのではないか、という見方がある。

いわゆるギフテッドと呼ばれるものだ。

発達障害の偏見がないことを強調する意味で、もうひとつは善意の誤解から“発達障害児は特別な能力をもっている”という見方
発達障害の偏見がないことを強調する意味で、もうひとつは善意の誤解から“発達障害児は特別な能力をもっている”という見方がある。しかし、スケプティクス(懐疑的)な立場から述べると、それはいささか問題がある「美化」なのだ。

だが、それはいささか問題がある「美化」なのだ。

まず、ギフテッドを一般化することが誤解である。

高学歴者に発達障害が多いといわれるが、発達に凸凹があるのが発達障害なので、科目による得意不得意がはっきりしていて、「まだらな秀才」であることが少なくない。

アスペルガー症候群の苦労と苦悩を漫画化した『心が読めない』(なかのゆみ著)は、『難病が教えてくれたこと』第3巻に収録
アスペルガー症候群の苦労と苦悩を漫画化した『心が読めない』(なかのゆみ著)は、『難病が教えてくれたこと』第3巻に収録されています。アスペルガー症候群の頻度は10000人に91人といわれ、原因となる遺伝子は見つかっていないそうです。

それに、障害が重度であると、別の能力で補おうにも補えない。寝たきりとかね。

ところが、ギフテッドを一般的なものとして認識していしまうと、それがない障害者に対して、まるで努力が足りないもののように見られてしまうことがある。

もしくは、まるで天賦の才があるかのように嫉妬されることすらある。

とんでもないことだ。

障碍者は、天才だから障害がある、わけではないのだ。

障害者と書くべきか障がい者と書くべきか

先天性右前腕欠損症のパラリンピック水泳選手・一ノ瀬レイが、テレビ番組で「障害の文字をひらがなにするのが嫌い」と発言して、多くの人が共感したことがあった。


「障害の文字をひらがなにするのが嫌い」 パラ水泳『一ノ瀬メイ』の持論に深く納得
http://grapee.jp/265035

障害の『害』が、ひらがななのが嫌い。
害やからよくないやろ、でひらがなにする。
私からしたら腕がないのが障害なんじゃなくて、それを持って生きていく社会が害。
私からしたら障害は本人じゃなく社会やから、ひらがなに直して勝手に消さんといてほしい。
これで、ネット民の一部は一ノ瀬レイさんに快哉を叫んだ。

だが、障害者のすべてが一ノ瀬レイさんに賛成しているかというと、必ずしもそうではない

「しょうがいしゃ」を文字で表現する時、「障害者」なのか、「障がい者」なのか、「障碍者」なのか、迷うことはありませんか
「しょうがいしゃ」を文字で表現する時、「障害者」なのか、「障がい者」なのか、「障碍者」なのか、迷うことはありませんか。2年前の2019年2月6日には、宝塚市が「障碍」という表記を決めましたが、後続の自治体を聞きません。改めてこの問題を考えます。

このニュースがネットで話題になった時、上記サイトにはこんなコメントが入った。

「社会が自分の害になっているってのは自分の障害をまだ受容できていないんじゃない?思ってしまう。生きていく上で不自由なのは純然たる事実だし、それは自分の障害のせいなんだよ。障害者はあくまでもマイノリティなんだから、出来ないことは諦めるってのも必要。障害は個性なんて言い訳もちょっとムカつく。」

どちらの意見も一理ある。

要するに、「障害者と書くべきか障がい者と書くべきか」という問題は、主観の問題にすぎない。

障がい者の問題は、本質はそこではないのである。

しかし、一般の苦労知らずの国民の中には、「害」と書くことをよく考えもせず避ける人がいる。

まるで面倒にかかわりたくないかのように。

実はそういう姿勢こそが問題なのではないだろうか。

障碍者は天使か

発達障害の息子さんをもつ立石美津子さんの連載である。

障害児は天使? 「言う側」と「受け止める側」の温度差
http://woman.excite.co.jp/article/child/rid_ItMama_50887/

障害者に対しては、「障害児は神様が与えてくれた天使」「親を選んでやってくる」といった言い方があるけれども、障害者の親に対して、善意やなぐさめのつもりで軽々しくそんなこと言わないでくれ、ということが書かれている。

言っている方は、悪気はない。

どちらかというと、障害者を美しく捉えている私ってなんて素敵なんでしょ、というジコマンに満ちている。

が、それはやめた方が良いだろう。

これは、おそらくはほとんどの障害者の親が一致した意見である。

障害者の親御さん自身がそう思うのならともかく、第三者が善意のつもりで軽々しく言ってはならない。

いいかな。

精神や知的な障害を伴うお子さんがいる家庭では、家庭が崩壊してしまう場合があるほど、子育ては大変なのである。

立石美津子さんでなくても、「知りもしないで綺麗事言わないで」と思うのは当然である。

筆者に言わせれば、「障害児は天使」という言い方は、「がんになってありがとう」とか、「神は乗り越えられる試練しか与えない」といったタグイの、他者から言われると腹が立つ無意味有害な綺麗事でしかない。

障害者は自分を不幸せと思っているのか?

ネットでは、高齢出産が激しく叩かれる。

まあ理由は、嫉妬だろう。

しかし、そこにはもっともらしい理由がつく。

高齢出産はダウン症など染色体異常の確率が高くなる。

障害児が生まれたらその子がかわいそうだ……

という言い分である。

だがね

そういうあなた、実際に障害児にヒアリングして統計とったのか?

その言い分は、間違いといっていいだろう。

障害者の施設に行けば、障害児は決して不幸と思ってはないことがわかる。

薄汚い野心をもち、口汚い悪口ばかり言っている健常者は、強欲から自分に不満を持ち不幸だと思うだろうがね。

ただし、障害児が悩みなく過ごすその背後では、ボロボロになって彼らを見守る親御さんがいる。

これも事実である。

この点については、一部、おかしな障害者の親御さんもいる。

曰く、

「いえ、障害児の子育てが大変なんてそんなことはない。そんな人は健常児でもグレさせてしまうだろう」

これは、Facebookの、ある障害者グループで実際に投稿された、障害者の親御さんによる強弁だ。

冗談じゃない。

健常児と障害児では、育てる苦労の次元が全く違う。

その親御さんも、それは承知かも知れないが、認めてしまったら障害児を悪く言う言い方だと思っているのかもしれない。

だが、何でも障害者を美化するのは差別の裏返しである。

美化もせず蔑みもせず、普通でいいのである。

『どですかでん』という黒澤明監督の作品があるが、そこに出てくる主人公のロクちゃんは知的障害者である。

川の向こうの健常者からは石を投げられるが、彼の住む集落では、そんなことはしない。

かといって、腫れ物に触るように気を使うかといえはそんなこともない。

奇声を発しようが、とくに気にしない。

黒澤明監督の、障害者に対する考え方がよくわかる作品である。

障害者を取り巻くデリケートな考え方、誤解について。

気がついたことがあったら、また続編を書こう。

以上、障害者を取り巻くデリケートな考え方、誤解についてご紹介しよう。近年は理解と支援ができつつも、問題がないわけではない。でした。

障がい者になったよ!~見えない障害や後遺症が誤解を生んでしまう(1) - 良歌の宮・こころ
障がい者になったよ!~見えない障害や後遺症が誤解を生んでしまう(1) – 良歌の宮・こころ

この記事を書いた者
草野直樹(かやのなおき)

自己肯定感も、自己意思決定能力も低かったのですが、昨今流行の家系図作りをしているうち、高祖叔父と“日本のケインズ”の接点を発見。仙台藩で和喜次時代のお世話役で姻戚関係も!?。もう30年早く知りたかったなあという思いはありますが、せめてこれからは一国民、一有権者の立場から、ケインズ系経済学支持者としての発言を自分の意志で行っていきます。

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