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貴乃花引退(退職)騒動について日本相撲協会の前近代性を指摘せざるを得ませんが実は私たちもそんな文化に満ちている

貴乃花引退(退職)騒動について日本相撲協会の前近代性を指摘せざるを得ませんが実は私たちもそんな文化に満ちている
貴乃花引退(退職)騒動がかまびすしい。貴乃花側、協会側、それぞれにたってネットでも「議論」が活発ですが、退職までの経緯で客観的なことは「相撲部屋はすべて一門に入る」という決まりが初めてわかったという事実だけです。

少なくとも日本相撲協会は、公益法人としておかしいでしょう。

どうせなら日本相撲協会は、「自分らは前近代的伝統を変えずにやっていきます」と宣言すればいいのではないかという辛辣な意見さえあります。

つまり、なまじっか「スポーツです」という見せかけを取るから、「現代社会では考えられない」という反応が出るのであって、「自分らはスポーツではなく、前近代をそのまま保存した電灯芸能であり、神事であります。だからそれについて文句言われても困ります」とすればいいのだというわけです。

もちろんそうなったら、NHKを含め、どこの放送局もスポーツとしては扱いません。

一部には、さらに日本の何処かに「前近代保存特別経済区域」を設け、この場所に大相撲だけでなく、『日本の前近代をすべてぶち込めばよい、という怒りや呆れの声すら聞かれます。

ただ、私たちの暮らしは「前近代」の制度や価値観に満ちていて、アメフトや相撲だけの問題ではないですから、というよりそれらはむしろ日本という国や国民の価値観の反映だと思うので、私に言わせれば1億総特区行きですね。

スターが大きなポストにつくことの是非

たとえば家制度なんてその最たるものでしょう。

70年も前に新しい民法ができて、家制度から家族制度にかわりました。

にもかかわらず、ナニナニ家の跡取りだの、長男がすべての権利と責任を背負うだの、親が子どもの結婚を認めないだの、いったい、日本国民は、いつになったら自分たちの法律に追いつくのでしょうか。

しかも、田舎の旧家や財閥など、たしかに継ぐべき家督があれば相続の問題は生じるでしょうが、国民の過半数である無産階級のサラリーマンの家庭で、家を継ぐも継がないもないでしょう。

まずは隗より始めよで、日本相撲協会を批判しながらも、同時に自己批判されると良いとおもいます。

貴乃花親方問題については、マスコミは昨年11月以来、協会側についたり、親方側についたりとスタンスをくるくる変えて話題をもたせてきましたが、ここに来てまた盛り上がっているようです。

まあ今貴乃花親方に同情している人々も、場所が始まったら土俵に熱中していると思うんで、そういう国民に支えられて大相撲は安泰なんだろうなとおもいます。

現役時代の地位や成績がすべてではないことはわかりますが、貴乃花にしても、千代の富士にしても大鵬にしても、現役時代は不世出の横綱と言われた人たちが理事長にはなれませんでした。

渥美清がいうところの、「政治をやる奴」がいい思いをしているのはどこの世界でもそうですが、ただプロ野球の世界は、現役時代スターだったからということで、指導者として懐疑的でも監督になる場合があります。

それはしばしば批判されるのですが、じゃ相撲のように、三役に上がったこともない奴が推す理由が不明のまま一門の推薦で理事になって、横綱として協会を支えて何百人の力士を食わせてきた功労者が理事職から追われてしまうというのがいいのかというと、そっちのほうがよほどうさんくさいなあと最近気づきました。

要するに相撲界の「勝敗」というのは、プロ野球の記録ほどは重きを置かれていないということなんでしょうね。

日本相撲協会が不可解な組織であるとの認識自体は認めざるを得ません。

生きざま 私と相撲、激闘四十年のすべて
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