渡辺恒雄氏の情報でネットはもちきりです。16日晩亡くなったものの読売は安倍総理の帰国まで公表したくないようでなかなか認めないが、各社予定稿準備しているとの情報です。そこで、2011年の清武英利氏爆弾会見を思い出します。
2011年11月のスポーツ紙を占めた話題といえば、日本シリーズを後景に退けた「清武英利氏爆弾会見」でした。
清武英利氏(当時GM)によると、代表権のない渡辺恒雄球団会長が、内定していた岡崎郁ヘッドコーチに代わって江川卓氏の名を出したことについて、「球団私物化を許してはならない」などと文部科学省で批判会見を行ったのです。
渡辺恒雄球団会長は翌日になって、「非常識で悪質なデマゴギー」と反論。
清武英利氏も再反論をコメントすると、球団は清武英利氏の一切の役職を解任しました。
この件について、スポーツ紙、夕刊紙はおおむね清武英利氏に対して冷ややかでした。
なるほど、現役役員の爆弾会見こそ、清武英利氏の言うコンプライアンス違反だろうし、コーチのテコ入れは清武英利氏GMの補強の失敗がおおもとの原因とも考えられます。
何より清武英利氏こそ、球団内では渡辺恒雄氏の威光を笠に着て、独裁者として振る舞っていたともいわれていました。
マスコミ各社が、自分のことを棚に上げる清武英利氏を批判する気持ちはわからないでもありません。
しかし、ネットではかねてから目立っていた球団会長という大権力を批判したことから、「よく言った!」の賞賛や「ナベツネ悪玉論」による盛り上がりがありました。
J:COMのインタラクTV投票では、渡辺恒雄氏と清武英利氏、どっちが悪いか聞いたところ、渡辺恒雄氏が77パーセントと圧倒的でした。
つまり、清武英利氏の意図や自覚や手法がどうあれ、渡辺恒雄氏の独裁者イメージは大衆の間に存在し、それを打破する人物を待望している現実があったのです。
本来なら「社会の木鐸」であるマスコミがそれをすべきだったのに、渡辺恒雄氏の放言をありがたがって垂れ流してきました。
マスコミは清武英利氏を批判する前に、まずオノレの不明を恥じるべきだったのです。
一部の知識人の間では、この件を会社内部の話を言い合っているだけ、と突き放す見方もありました。
しかし、それをいったら個々の芸能人のゴシップなんてもっとくだらなくなってしまいます。
巨人軍といえば球団の歴史が最も古く、年間300万人の観客を動員。
コンテンツとしての価値は落ちてきたといえ、テレビ中継も持っている少なくともプロ野球業界においてはきわめて有力な企業であり、親会社は一千万読者を標榜する読売新聞です。
それが、グループ全体を含めて渡辺恒雄会長の気持ちひとつで人事が動くという話が「清武英利氏爆弾会見」で明らかになったのです。
食事帰りのぶら下がり取材で発せられる、渡辺恒雄会長の独善的な放言を聞く限り、まあそうだろうなあ、と薄々わかっていたことではありましたが、清武英利氏の会見によってワンマンぶりが正々堂々と具体的にばらされたことで、いよいよ噂や想像ではなく公然としたわけです。
方法等の問題はどうあれ、暴露の意義自体は、今からでも認めるべきです。
アンチ巨人なら、正直なところザマアミロという思いだってあるでしょう。
日本の企業ではワンマン社長(会長)が土壇場で決まったことをひっくり返すなんてよくある話だ、という人もいます。
しかし、暴露の意義はたんなるワンマン社長の存在の確認ではありません。
マスコミや、プロ野球球団など世論や文化の形成に大きな影響を与える大読売が、代表権もない人間によって個人商店然としていたこと。
そして、そのワンマンは、国会議員の議席もなく公党の幹部でもないのに、大連立話など政界にも口を出す人間だったのです。
つまり、わが国は政治、経済、スポーツ、マスコミなど広い分野で、正式にその職責を裏付ける肩書きのない者によって、何らかの影響を受けてきたということです。
それは日本という国が、建前と実態の二重構造で動く無責任社会、無責任国家であることの証ではないのでしょうか。
他人の身にならないと他人もついてこない
と、ここまでは清武英利氏擁護論に見えるかもしれませんが、これはあくまでも是々非々で書いています。
その当時のバトルの陰で、こんなニュースもありました。
2011年11月21日、地下鉄、松本両サリン事件など4事件で殺人などの罪に問われたオウム真理教の元幹部・遠藤誠一被告の上告審判決が最高裁第1小法廷であり、遠藤被告の上告を棄却。死刑が確定しています。
当時、清武英利氏の舌鋒鋭い批判と、オウム真理教のようなカルト教団の事件に共通性を感じました。
もちろん清武英利氏がオウム真理教と関係があるとか、マインドコントロールの手法を使っているという意味ではありません。
「周囲が目に入らないひたむきさ」や「思い込みの強さ」が似ていると思ったのです。
この件を報じる『東京スポーツ』(11月22日付)では、記者との一問一答にある、清武英利氏の次の一言が見出しになっていました。
「筋と筋の勝負をしよう」
どうですか。この清武英利氏のひたむきな回答。
ここでいう「筋」を訳すと、「自分が考える理屈」という意味です。
自分に批判的な記者に対して清武英利氏は、「俺は正しいことを言っているんだ。君が正しいか、俺が正しいか勝ち負けの議論しよう」と言っているわけです。
なんだかなあと思いました。
学生のディベート大会ではないのです。
価値判断は人それぞれなのに、同じ理屈でもTPOで周囲の受け止め方は変わってくるのに、「自分の理屈」だけでつっ走ってもダメでしょう。
要するに清武英利氏は、“他人の身になって考える”という発想がなかったのです。
ですから、名前を出された岡崎郁コーチ(当時)や江川卓氏の迷惑などちっとも慮っていません。
むしろ、自分は岡崎郁コーチのために言ってるんだ、と思い込んでいたのです。
言い分以前に、その態度こそが問題だったともいえます。
暴露や泥仕合が悪いと言っているのではありません。
相手を蹴落とし、自分が正しいと威張るための主張は、その当時の菅直人元首相だけでたくさんなのです。
相互の意見をつき合わせて、より高次な真実に肉薄するという前向きな方向性こそが、人々の共感を得られる態度だとおもいます。
これではかりに、渡辺恒雄氏の落ち度指摘が正しかったとしても、メディアで叩かれてしまうわけです。
以上、渡辺恒雄氏死去情報でもちきりですが2011年清武英利氏が「球団私物化を許してはならない」との爆弾会見を思い出します、でした。
画像転載元
https://matome.naver.jp/odai/2134019442484196001
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