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渡瀬恒彦が、2018年3月14日に亡くなっていたことが報じられ、訃報はすぐに報じられなかったので当時は話題になりました。

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渡瀬恒彦が、2018年3月14日に亡くなっていたことが報じられ、訃報はすぐに報じられなかったので当時は話題になりました。

渡瀬恒彦が、2018年3月14日に亡くなっていたことが報じられ、訃報はすぐに報じられなかったので当時は話題になりました。渡哲也との兄弟関係、離婚した大原麗子を自分の主演ドラマに呼び、それが彼女にとっての遺作になったなど話題になりました。

以下、敬称略で行きます。

渡瀬恒彦にとっての渡瀬道彦(渡哲也)

渡瀬恒彦は、テレビドラマで人気シリーズに出演してきましたが、もとは東映の俳優でした。

東映時代は、大原麗子との別居結婚が話題となり、また一時はその東映とも契約していた渡哲也の弟としても注目されました。

渡瀬恒彦は、早稲田大学出身でサラリーマンを経て東映入り。

芸能界に興味がなかったそうですが、結局入っていることから、先に日活入りしていた渡哲也に対するデリケートな感情があったのではないでしょうか。

おそらく、兄弟仲は良さそうです。

そして、兄を尊敬していました。

それだけに、兄に負けたくないという気持ちが、芸能界入り後にも垣間見えました。

兄の渡哲也に対しては、かなり言いたいことを言っていた記憶があります。

古舘伊知郎のトーク番組に出演した時は、学校時代は自分のほうが兄よりも成績が良かった、兄とは何をやっても負けない(同じ空手部)ことを強調していました。

しかし、自分にとって問題にならない人物なら、ことさら意識して比較する必要はありません。

それはとりもなおさず、渡瀬恒彦は、渡哲也を芸能界入り以前から意識していたことがわかります。

その姿勢は最近まで変わっていなかったようで、お互い共演もしなかったのですが、2011年12月放送の特別ドラマ『帰郷』(TBS系)でやっと共演した時、こんなことも言っていました。

「僕から見たら、兄貴程度の芝居しかできなかったら、とっくに消えていただろうなと。兄貴は下手ですね」(2011年11月10日、スポニチアネックス)

世間は、渡哲也を渡瀬恒彦より上と見ているに違いない、という負けん気とコンプレックス、そして弟の気楽さの入り混じった感情なんだろうなあと思います。

でも、兄はいちいちこうした弟の攻撃に反応しなかった。

男の兄弟。このような気持ちは大いにわかる。

大原麗子とは……

大原麗子とは、別居婚として話題になりました。

当時、大原麗子はテレビドラマの売れっ子で、東京のスタジオが仕事場でした。

一方、渡瀬恒彦は東映京都作品に出ていたので、京都住まいでした。

ワイドショーは、当然、2人を興味本位で取り上げました。

離婚危機説を何度も報じました。

結果的に離婚はしていますが、芸能マスコミ報道が先行していた感が強くあります。

さらに問題は、そのときの報じ方が、「大原麗子・渡瀬恒彦夫妻」だったということです。

渡瀬恒彦は、「大原麗子の夫」扱いなのです。

当時は、2人で歩いていても、大原麗子にばかりサインの求めが集中していたといいます。

東映京都で、まだ主演クラスとはいえなかった渡瀬恒彦にとって、大原麗子は、役者としての大きな目標だったと思われます。

そして、30年後、『十津川警部シリーズ』で、役者として絶頂期にある渡瀬恒彦は、すでに過去の人になっていた大原麗子に出演の声をかけました。

渡瀬恒彦としては、当時格差婚だった大原麗子においつけ追い越せでやって来て、やっと自分の主演にゲストで呼べるところまで来たということでしょう。

もっとも、大原麗子にとっては、その仕事を最後に2度と表舞台には出てこなかった。

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というより、それが遺作になりました。

いずれにしても、最後に共演で締めた渡哲也、大原麗子は、渡瀬恒彦にとって生涯のライバルだったのでしょう。

渡瀬恒彦について

渡瀬恒彦は、日本の俳優であり、1932年に生まれ、2018年に亡くなりました。

彼は、昭和30年代から平成にかけての日本映画の黄金期に活躍した俳優であり、その俳優としてのキャリアは50年以上に及びます。

渡瀬恒彦は、1960年代から1970年代にかけて、アクション映画で活躍し、その後、ドラマや時代劇などの幅広いジャンルで活躍しました。

彼は、強く、勇敢で、男らしい役柄が得意であり、その存在感は、多くの観客に愛されました。

また、渡瀬恒彦は、演技力が高く、彼が演じたキャラクターには深みと複雑さがありました。

渡瀬恒彦の代表作には、映画は『仁義なき戦い』『まむしの兄弟』『皇帝のいない八月』『神様のくれた赤ん坊』『セーラー服と機関銃』『時代屋の女房』『南極物語』などがあります。

テレビドラマは、『影同心』『高木彬光シリーズ 白昼の死角』『塀の中の懲りない面々』『十津川警部シリーズ』『世直し公務員 ザ・公証人シリーズ』などがあります。

彼は、数多くの映画やドラマで活躍し、その演技は、多くの俳優たちにも影響を与えました。

渡瀬恒彦は、日本の映画界に大きな足跡を残した俳優であり、その存在は今もなお多くの人々に愛され、尊敬されています。

大原麗子について

大原麗子は、日本の女優であり、1946年に生まれ、2015年に亡くなりました。彼女は、1960年代から1980年代にかけて、日本映画やテレビドラマで活躍しました。

大原麗子は、その美しさと優雅な雰囲気で、多くの人々から支持を受けました。

彼女は、恋愛映画や時代劇などの女性役を中心に演じ、その演技は、繊細で感情表現が豊かでした。また、彼女は、悲しい役どころでも、強い気持ちを持った女性を演じることができました。

大原麗子の代表作には、テレビドラマが『勝海舟』『まごころ』『雑居時代』『となりのとなり』『火曜劇場 / 愛の山河』 などがあります。

石立鉄男ホームコメディドラマシリーズは1971年~1978年に放送されたホームコメディ。ヒロインMVPは松尾嘉代?大原麗子?
石立鉄男ホームコメディドラマシリーズは、1971年~1978年にかけて、ユニオン映画が制作、日本テレビ系で放送されたドラマです。すべて独身男性を演じた石立鉄男の相手役としての女優が各作品に登場しますが、とくに印象深いのが松尾嘉代と大原麗子です。

映画は、『網走番外地シリーズ』『男はつらいよ 噂の寅次郎』『男はつらいよ 寅次郎真実一路』などがあります。

彼女は、数多くの名作映画やドラマに出演し、その演技は多くの人々から愛されました。

大原麗子は、昭和時代の日本映画に大きな貢献をした女優の一人であり、その存在は今もなお多くの人々に愛され、尊敬されています。

以上、渡瀬恒彦が、2018年3月14日に亡くなっていたことが報じられ、訃報はすぐに報じられなかったので当時は話題になりました。でした。

/西村京太郎サスペンス/十津川警部シリーズ/渡瀬恒彦/TBS/Vol.21~27/7枚セット
/西村京太郎サスペンス/十津川警部シリーズ/渡瀬恒彦/TBS/Vol.21~27/7枚セット

この記事を書いた者
草野直樹(かやのなおき)

自己肯定感も、自己意思決定能力も低かったのですが、昨今流行の家系図作りをしているうち、高祖叔父と“日本のケインズ”の接点を発見。仙台藩で和喜次時代のお世話役で姻戚関係も!?。もう30年早く知りたかったなあという思いはありますが、せめてこれからは一国民、一有権者の立場から、ケインズ系経済学支持者としての発言を自分の意志で行っていきます。

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